過去のVOICE  2005.4.1-2005.9.30


2005.9.25 グラインダーマン パフォーマンス コンピューター ファミリー エックス 岩手県立美術館 グランドギャラリー18:00-19:30 グラインダーマンはみちのく初公演?筑波系で近い先輩に明和電気がいるという。グラインダーをステージで使うパフォーマンスはメディアでも紹介されているが、どんなものか見たことがなかった。作品名は「コンピューターファミリー エックス」。グランドギャラリーの壁面に懐かしいゲームモニターの映像が映し出される。四人のどこにでもいるような家族がゲームの登場人物。ゲームはコマンドの選択によってスクロールしながら進む。同時に父、母、お姉さん、弟に扮した(全員男)メンバーが、さまざまなアイテムやギアを手にしながら注入されたパワーを武器に戦う。見どころは体にくくりつけた金属板にグラインダーを接触させ、火花をまき散らして激しく戦う場面。目まぐるしいダンスと、ちょっと懐かしいコンピュータービート、アナログチックな武器のナンセンスさ、すべてが目の前で現実の生活を覗くかのように展開する。ゲームと現実の境界をあいまいにするかのように。そしてすべてのエネルギーを使い切ってひとりずつ死んでしまう。途中ブレイカーが落ちる演出かハプニングもあったが、テーマはコンピューターエイジのゲームオーバー感覚とでも言うのか。ゲームはゲームなんだからリセットしてもまだ許せる感覚はやはり時代の変化を象徴するのか?GAME OVER!!そしてCONTINUE?ときてYESを選ぶ。しかしそこにはまだまだ人間くさい乗り切れなさを見出せたように感じた。ギャラリートークにも若者中心に大勢が残った。人気あります。

2005.9.15 柴田有理 展 LOGICO
 

2005.9.14 本田恵美 展ー仕草ー 諄子美術館 本田恵美さんの白い作品は盛岡では先日の公会堂アートショウで記憶に新しい。今回もオーブン陶土で作った植物の種かを連想させるような立体に胡粉を塗り磨いたもののようだ。その表面は半光沢というか、あまり日常見るものの中で思い当たらない。それは自然の素材が持つ安らぎのようなものかもしれない。全体的に丸みを帯び、上昇するようなフォルムは、おそらく自然の中からヒントを得ているのだろう。このような抽象的フォルム(具体的な視覚経験を喚起させながらも)の決定は安易に見切りをつけられる表現としての危うさもあわせ持つわけなので、その辺をこの作家も当然、考えていることと思う。大き目の作品は石膏と伺った気がする。10月15日まで。

2005.9.12 山内正宣 展 ギャラリー彩園子 山内さんの前回の個展の印象からスケールアップした感じがする。鉄、石、OSBボード(最近よく建材にも用いられる集積材)による造形は、もともとの彫刻的なスタイルは残しながらも、多分にレリーフ的と言うか、絵画的な要素がこのところ見られる。自然石に鉄棒を組み合わせた作品も鉄の棒を具象性を喚起させるモチーフにねじ曲げる。OSBボードで箱状の立体を作り、同様なスチール棒が具象的なラインを表現する。ものとものの関係性を作品にするより、イメージを半抽象的に表すことに主眼があるのだと思う。OSBは素材として面白いが、どうしても鉄との関係を読もうとすると、その必然はそれほど感じられない。ともあれ完成度を求めようとしていることは伝わってくる。鉄、石、木材と素材と扱いには慣れていることが感じられる。慣れが作り過ぎないように本人も考えているようだ。

2005.9.10 百瀬 寿 盛岡クリスタル画廊・閉廊記念展 クリスタル画廊閉廊の知らせを聞いてから一週間たらず、波紋は広がった。何せ盛岡では企画展のみで長年質の高い活動を継続している数少ない画廊の一つ。呆気にとられた。そしていろいろなことが思いめぐった。ギャラリーの中村さんは画廊業なんて毎月博打をやってるようなものでトータルでどうかの世界。次の月を考えるとほとんど喜べない仕事。ただ来てくださる人がいることと資本の援助を惜しまなかった大家さんのお陰でここまでこれたと。目には見えないがこの資金援助(精神的な支えでもある)がどんなに文化に貢献したかあらためて敬服したい。思えば80年代の初頭にここで初めて個展をさせていただいた。その頃はまだ現在のような企画オンリーのスタイルではなかったと記憶するが、貸しであっても、何でもいいですといったものではなく、高いものを求められるような張り詰めた空間だった。その後現在のようなスタイルになっていくが、2000年以降、社会の構造変化は価値観の変化も伴いながらアートの世界にも影響を与えている。東京の画廊地図も大幅に変化してきたのがここ数年である。盛岡にもそうした波がとも思うがそれはわからないことだ。クリスタル画廊の閉廊はいろいろな意味で完結したクロージングに思える。
百瀬さんも最後のクリスタル画廊での作品に新作をぶつけ、有終の美を飾るかのようだ。新作も長年追及するグラデーションによる一点もののミクストメディアが中心。規則的に並ぶスクウェアの色面に金箔や銀箔を貼りながら、手漉きの紙の繊維によるグラデーションを重ねることで画面から思いもつかないような色彩の至福を奏でる。新作はこれまであまり使われていないブルー系やグリーン系が何ともいえないクールな色彩の魅力を放っている。10月2日まで。

MONTH OF PHOTOGRAPHY SENDAI 2005 大沼洋美写真展 re-bridge edit 

2005.9.9 N2スタジオライブ 6 カナガワミナダケ 《SHIZUKUISHI会議ー三つの報告展》 杉本奈美・中川久・松浦延年 11日まで。

 詩の朗読会 ギャラリー彩園子二階一茶寮 現在行われている沢村澄子さんの書展にタイアップして本人が書の中で引用している八木重吉や白石かずこらの詩を朗読。会場は、詩関係の人(おそらく)やもちろん書の人でほぼいっぱいに。沢村さんの面白いところは、書にしても詩にしても、そのことが最重要でないということに思う。確かに学生時代から書に向かっていたのだが、何を書くかということに悩み、最初は八木の詩に見られる純粋な結晶のようなものを求めていたようだ。わりと最近、白石かずこを偶然知り、その詩の強さと開放性に自分の書も揺り動かされ、道が拓けたというようなことを話していた。詩の朗読自体は、意外に淡々とした、文字の忠実なトレースに聞こえ、そのことが余計に詩の内容に距離を持ち、好感が持てる。ここでも詩の再現としてではなく、彼女の詩に出会った時の、空気や空間感といったものを大切にしているとの話も理解できる。最後には5ヶ月前に始めたという三味線の演奏まで飛び出し、前前日にギャラリーのオーナーにお客さんに耳栓を渡したらいいと言われたという冗談も半分頷けた。まあそんな価値観をするっとすり抜ける軽さも魅力なのでしょう。


2005.9.7 沢村澄子 展 ギャラリー彩園子T、U 沢村さんは書の作品をこうして画廊で展示する。その展示の仕方も吹き抜けの階段部分の壁全面にインスタレーションしてみせたり、書のことがよくわからないものにもこういう書の提示の仕方や表現もあるということを自然に見せてくれる。その作品は、書という従前の表現方法であり、鉄板に書いてるわけでもないし、墨で紙に書いているだけなのに、なぜか楽しい。たまに公募展の書展をのぞく事があるが、書法や字の成り立ちを知らないわたしには何の接点もなかったりする。それは書を”読む”という困難さだけがそこにあるそからだ。美術においてもそうした作法や文法にあたるものはある。しかし美術の多様な表現方法やスタイルに比べると、書は様式的な表現であるというイメージがある。額装され同じフォーマットで整列する書作品を見ると、かなりつよい強要感を受けることが多い。それも書を解読できないためなのだろうが。沢村さんの作品にはそうした感覚が不思議と起こらない。画廊で見るということがアートと二重写りに見えるせいも多分にあろうが。芭蕉の句や白石かずこの詩などがモチーフになっているのだが、詩はあとから気になるくらいで文字がそこに浮遊しているそれだけのことがまず眼に入る。そして墨の色やにじみ、筆勢といったエレメントを見る。しかしその何ともいえない”抜け感”は、アートとか書といった領域を無効にし得る何か可能性を感じさせる。沢村さんはまた、そうした領域を壊そうと、またはオーバーラップさせる感覚を楽しんでいるよにも見える。話をするとよくおちょくってみせる。書に対しても敢えてあまりこだわりを感じさせない。沢村さんの書は会話のようなに感じる。実際、書と言葉を発することは同じ感覚だと話しておられた。書の勢いは言葉をはきだす勢いであり、それはごく日常的なふるまいなのかもしれない。だからかたくるしくない。しかしそのプレゼンテーションは挑発的で意識的にも感じる、スタイルの上手さも同時に透かし見える。10日まで。(追記)

2005.9.3 戸村茂樹銅版画展−存在の彼方へ− 岩手町立石神の丘美術館 オープニング及び対談 戸村茂樹×六岡康光 11時からの開場式と対談を続けて。岩手の近代洋画100年展も記憶に新しいが、それ以降の岩手の美術を地道に検証、紹介するシリーズ。戸村さんは70年代から銅版画を中心に数多くの個展、コンクール等の経歴を持つ。歳は自分と7歳ちがうが、美術になんとなく進もうかと思っていた頃には既に戸村さんは盛岡で個展を開いていたように記憶する。一貫して見られる自然の緻密な描写は、常に職人的な領域として自分の眼には写っていた。今回こうして80点と聞く作品に向かっても印象は変わらない。思いがけず70年代の初期の作品も見ることが出来たが、実験的な試みを随所に見出せる。それは現在の作品よりも偶然性や技法の実験的試行に加担していると言えよう。また、戸村さんの作品に多く登場する”樹”についてはこうして70年代から年代順に現在まで俯瞰することで同時期の作品からだけでは発見できない変化を感じることができ貴重だった。現在は技法的にもシンプルになってきているのだろうか。樹木や水面、雲や雪、常に緻密で忠実な自然の描写は、私達にある種視線を共有したような感覚を抱かせる。現に夕立に駆け込んだ木立の下で、雨音を送ったあの時の記憶や、風の匂いがよみがえる。戸村さんの作品はエッチングやドライポイントといった細密な表現に向く手法を主に用いるので、見る側はカメラで記録した写真を見るようにその風景を再確認する。最初は現実をモノクロの世界で捉えた、その描写に驚かされる。しかし、よくよく画面を見つめていると、どうも自然をただ単に再現しているのではないことに気付かされる。”樹”のかたちにしても意図的に簡略化しているし、実際の風景とはずいぶん違っていることが何となく想像できる。戸村さんの作品は、わたしたちに、”樹”を描いていながら、実は”樹”の周辺(不可視な)を具現化しようとしていること、つまり、自然の姿を介しながら実は存在の向こう側にある”気”のようなものを探っているということを指し示す。戸村さんは健康な眼を与えられたことに感謝したいとおっしゃった。戸村さんの視線は、日常の中で実は見逃しているまさに−存在の彼方−を捉えようとしているのだろう。芸術監督である六岡さんとの対談でも、そのことを強く感じた。今回は出品になっていないがドローイングには版画とはまた違った別の意味性が読み取れ、これも興味深いが今回は版画に絞ったとのこと。10月10日まで素晴らしい図録も7日以降見られるとのこと。

菅木志雄 パフォーマンス 岩手県立美術館グランドギャラリー 終盤部分しか拝見できず。

特別展 NHK 放送80周年記念 義経展 −源氏・平家の奥州藤原氏の至宝− 岩手県立博物館 を再び。浮世絵版画になぜか惹かれ再び。全体的にも非常に充実した内容で、来館者減少の館にとって空前の大ヒット企画となったことと思う。普段美術館にばかり通っているが、以前はこの県立博物館には美術のコーナーがあり、博物館と美術館を同時に体験できたものだが、久々に博物館の良さを感じさせられた。県内外から人が途絶えない大人気。 4日(日)まで

2005.9.2 阿部 自 [品NO. ] ギャラリーla vie,STUDIO LOGICO 二会場同時の展示。ラヴィでは、子供用自転車や鍋やレコードから食べかけのカップラーメン、木の枝などにまさに泥状に見える皮膜がプツプツと突起を与えながらモチーフの表面を覆い隠す。ポンペイの火山灰に埋もれた日常のごとく壁や床に置かれている。まあそれがヘドロじゃないことを知っているので嫌悪感はわかないが、まさに泥っかぶり状態。皮膜は建築素材にアクリルで着色しているようだが、艶といい泥から上がった長靴状態なものが並ぶ。ロジッコでは自画像に細かい突起が同じ素材で施される。3日まで

2005.9.1 特別展 NHK 放送80周年記念 義経展 −源氏・平家の奥州藤原氏の至宝− 岩手県立博物館 4日(日)まで

2005.8.31 日本ではなぜか画集も少ない故フンデルトヴァッサーは根強いファンを持つ。エコロジストで画家であり建築家、環境デザイナー等いくつもの顔を持つが、サイケデリックムーブメントの先駆けとして若い世代にも最近人気が高い。晩年は大規模な絵画同様な曲線を主体とした(自然界には直線は存在しないという持論)建築でクアハウスや集合住宅などで注目された。そのヴァッサーのデザインによる巨大施設が大阪にあり、その施設はオリンピック誘致がらみで巨額の財を投入して、シンボル的に人の住まない埋め立島に建つらしい(なにせラジオで耳に入った情報なので不正確だが)。何かの処理施設として中には重機が設置されていて、外見はいかにもヴァッサーらしい装飾性に富んだデザインとリポートから想像した。しかしそのリポートは決して好意的ではなかった。要するにだれも人もいない場所にどうしてそんな装飾過多(ほとんど用をなさない窓ややはり飾りのバルコニー等)なデザインが必要なのか。何とデザイン料だけで6000万と9000万とか。建物は何百億だったと思う。ヴァッサーを紹介した番組を数年前観たが排泄物で肥料をつくり屋根にまき、屋根にも緑が生い茂る自宅からは想像がつかない話に聞こえた。何となく現実を見た感じでさめてしまった。ヴァッサーほどのエコロジストが建築の行く末に気付かなかったのだろうか。負の遺産にならなければいいが。

2005.8.27 アート@つちざわ《土澤》 プレヴュー展 旧岩手銀行跡(岩手県東和町土澤) 10月8日から始まる同展に先立ってのプレヴュー展。旧銀行とは言えとてもこじんまりとした空間に三十人の作品が並ぶ。今の感覚からはこんなに狭いのかと少々目を疑うが、しっかり奥には金庫も残っている。カウンターがこのあたりにあってと当時の模様を伺う。採光が十分とれないため曇天時や雨天時はかなり暗いだろうが、地元のササチョウ醸造さんが修復に乗り出し、きれいにリフォームされた白壁に暖色系のパネルがコントラストを与えている。展示は萬鉄五郎記念美術館が中心に、短時間でよくぞ整えたものだといつもながら感心。このプレヴュー展はより町民の方々に対する、デモンストレーション的な性格の内容と言える。会期中一人でも多くの町民の方、また町民以外の方にも来場いただきたいと願うところだ。しかし、いまだ謎だらけな土澤なり。

2005.8.21 Kai Exhibition[ 空のつづき・・・"sora no tsuzuki]岩山展望カフェ 夕やけ こやけ 本日終了。

2005.8.20 不来方会展 ギャラリーおでって 風のギャラリー 第十二回の同展を新会場の風のギャラリーと拝見する。不来方高校の卒業生有志21人という。卒業生展はよくあるので、今回この展覧会にもうちわの展覧会によくあるつまらなさを多少想像したが、いい意味で個人が互いに尊重しあう空気を感じた。ややもするとグループ展は、どこかで観たような、既視感にさいなまれるものだが、個々が表現することにおける大切な言葉を手探りながら獲得しかけているように見えた。卒業年次も違うだろうし、作品の煮つめ方には差があるが、好感の持てた展覧会だ。25日まで二会場同時開催。

2005.8.17 風のギャラリー NPO法人が運営するアートサポートセンターがこの6月に盛岡市内に誕生した。 風のギャラリーは主にアートの展示発表の場として明日から第二段の展覧会が始まる。ちょうどその準備中におじゃまする。旧知のO氏から施設の説明をいただく。ギャラリーのほかにスタジオやワークショップ等に活用されるスペースや楽屋などよく手作りで整えたものだと感心した。演劇の盛んな盛岡でもあり、精力的な自主企画が今後、美術とともに期待される。アートの第二段は第12回不来方会展が25日までギャラリーおでってと同時開催。

朝倉昭守(1926〜1989)回顧展 ギャラリー彩園子

2005.8.14 アートシネマ上映会 エルミタージュ幻想 岩手県立美術館 90分の大作フィルムであるが、目まぐるしく現実と妄想が、歴史の狭間で点滅するように描き出されている。狂気じみた感さえ覚えるが、それが内側からだけの視線ではなく、いきなりエルミタージュという迷宮に迷い込んだ他者の目線で記録しているところが意外と飽きさせない。館内は夏休みといこともあろうが、来館者も多くにぎわいを見せていた。エルミタージュ美術館展は9月25日まで。

秋季常設展示 岩手県立美術館 8月12日からの秋季展示。常設展示の展示替えであるが、毎回違ったテーマによる部屋や舟越、松本、萬の部屋も展示の工夫がみられ楽しめる。今回は「素描」を中心にしたテーマのコーナーが眼を引いた。連動して松本らの部屋にもデッサンに対するタブローも並んでいた。「素描」で興味深かったのは萬の美術学校時代のアカデミックな石膏デッサンや人体素描と対照的な竣介のタブローの様なデッサン。両者とも素描なのだが、萬のデッサンはデッサンとしてわきまえている風に見え、あくまで素描として成立しているように感じさせる。竣介は逆に素描であるのだが、そのあとのタブローを感じさせる絵画的な素描であること。10月23日まで。


2005.8.12 岩手県公会堂アートショウ2005 岩手県公会堂 盛岡の歴史的建造物である県公会堂を舞台に今日から繰り広げられるアートショウのオープニングに立ち会う。県公会堂は昭和二年に当時県民の多額の寄付も支えとなって、日比谷公会堂も設計した佐藤功一博士によって設計され開館したと聞く。言わば盛岡をずっと見続けてきた盛岡を象徴する建造物である。しかしここ最近は、老朽化も進み、管理保存か解体かで注目されていた。ただ盛岡に暮らすものにとっては、たとえ今日的機能がなされていなくとも”公会堂という風景”が消え去ることは考えられないのではないか。だから、市民の目には公会堂は常に優しく存在し続けているように思う。そんな公会堂の再利用の一方法としてアートを中心にした、活性化的リアレンジを試みるという今企画は、意表をつくものだ。市民にとっては何度となく足を運び、観劇し、卒業式や入学式、講演会やら思い出が詰まった場所なのだ。あの場所にコンテンポラリーアートのインスタレーションやアートカフェだと聞いたときは、第一印象として少々戸惑いを感じたのはわたしだけではないだろう。それだけ公会堂は永い間眠りについていたのだろう。そしてどうアートとして公会堂とこの場所に重なる人々の想いや記憶とも融合させながら作品を提示させられるか興味はそこに向かっていた。参加アーティストは9人。おそらく全員にそのことは重くのしかかったのではないかと推測するし、この特殊な場所の生い立ちを理解せずには作品は単なる異物であることも承知のことと思われる。そんな中でのオープニングセレモニーの各作家のコメントも興味深かったし、作品は短時間であったろう準備期間の中での個々の公会堂に対するアンサーに見える。作品は個々にクオリティーを感じさせるものであったが、わたし自身が特に感じた印象としては、公会堂は全くそのままこうした企てをも受け入れ、拒絶もせず、そこに堂々と在るということ。あの頑強な鉄のフレームが印象的な窓枠の外には変わりゆく盛岡の風景が映し出されている。街の変貌とともに建築というものは、やがて物理的に朽ち果てていくだろう。しかし、その建築としての精神はそう簡単に消え去らないということを確認できた気がした。このような歴史的な建造物の中でアートを展示する際、アートが建築を変えるような錯覚や先行し過ぎる作家の思いが度々あったりするものだが、アートによってこの建物の意味や歴史を再認識させ、公会堂を通してに我々のものの見方を変えさせる契機にこのアートショウが一役を担えばそれでいいのではないかと感じさせられた。9人の作品はそれぞれに公会堂の”現在”と”過去”をつなぎながら優しく公会堂ととけ合っているように見えた。オープニングに先立ちダンスと映像のパフォーマンス/中村真央(ダンス)、鍋倉健一(映像)、piana(音楽)も行われた。真っ暗な客席、思いのほか狭いステージは30年以上前にあの暗幕をくぐった、あの頃を思い出させた。21日まで各種イベント盛りだくさん。(一部追記)

2005.8.5 岡田卓也 加藤隆 展 盛岡クリスタル画廊 岡田さんは積層のシリーズ。透明なアクリルによる立体の中に樹脂を封入の際、何段階にも分けて(20段階は数えられた)油絵の具、アクリル絵の具のブラシュストロークを施す。まるで正面から見ると三次元的に色が浮遊するかのようだ。技術的にそしてキュービックな形態にリスクを負うため、きびしいだろうと思うが、絵の具が平らにのらずにひねりが入ったような作品は、かえって面白いと思った。透明アクリルに封入はややもすると観光地のおみやげのようなキッチュな印象をいだかせかねない。岡田さんが封入しようとしているものは絵画的要素が加わることで意味も多重的になりつつある。また、加藤隆さんは、点数を絞っての展示。基本的に石彫作品なのだが「湧水」などというタイトルからもコアに向かう彫刻というよりも、形にならない周辺への眼差しを感じさせる。玄武岩にガラスを組み合わせたり、彫刻に透明度を与えている。会場奥にあった平面作品(レリーフ)は壁土?と石、ガラスを巧みに箱庭上に構成し、石彫作品に多く見られる、フォルムでしか作品を語っていない作品と一線を画し、興味をいだかせた。7日まで。

2005.8.3 三河渉 展 クラムボン 版画が5点とペインティングが1点だったと思う。どちらも浮遊感のある、平面作品。画面上に浮かぶエレメントが何かはどうでもいいのだろう。丸みを帯びた何かの断片のような、パンのような、飛行船のような、不思議なフォルムが大小、画面にそれぞれの定位置を与えられているように見える。その佇み方が、ちょっとひっかかる。アクリル?よりエッジのアン・シャープ(淡いインクでフォルムがだぶって見える)なエッチングが面白く写った。
13日まで。日曜休み


2005.8.2 小笠原卓雄 展 Integral.series−H ギャラリー彩園子 毎年この時期に卓雄さんは彩園子でやっているが、今回も最近の発表の流れにあるようだ。ワイヤーで三角錐?状に組んだ複数の骨組みの中に電球を仕組み、その上に真っ白い布(シーチング)を被せる。そして前回は人が渡れるくらいの長寸の厚板を放射状に並べたものだったように記憶する。今回は先日観た菅木志雄さんのインスタレーションでも用いられていた建設現場で使う足場用のパイプと渡し板でちょっとした足場を白い発光体の上を跨ぐ様に設置。足場の上を歩けるのだが、つい下ばかり見て歩いたら彩園子のあの太い梁に頭をぶつけてしまった。やられました。後から頭上注意の張り紙。作品はいつもつくり過ぎずほどよく放つ感じは以前から変わらない。12日まで。

2005.7.31 滝沢アートフィールド2005 相ノ沢キャンプ場 二年に一度開催されてきた滝沢アートフィールドは1987年から数えて20年も続いていることになる。それは日本の野外展でも突出しているらしい。第一回から4回くらい出品した記憶があるが、その時と全く変わらない風景がそこにあった。自分が出品しなくなった理由は、自分自身の作品の変化が一番大きいが、当時、野外展は一つのブームで、出品者が公募によるというスタイルに少し懸念を感じていた。事実、野外に並べれば、それは共通項となり、出品者にとっても観る側にもその意味を個々において見極めることが困難な状況にあったように思う。しばらくぶりに観たアートフィールドは、意外にもすっきりしたものに見えた。自然の中に異質な状態を持ち込むような作品は少なくなり、自然の中に溶け込むような、交わるような作品が多い。作品は小ぶりなものが多く、相ノ沢キャンプ場には、ごく普段の時間が流れているように感じた。ただ「自然」というフィルターだけで作品に有効性を求めることは、困難なことも透かし見える気がする。

2005.7.30 板垣崇志展 ギャラリーla vie 板垣さんはここ数年、アクリルで光とその精神をつかもうとするかのような絵画をつくっている。雲や山脈、また貝殻や自然物をモチーフにする。麻布のほかに綿布も使うようだ。その微妙な絵の具の染み込みの違いを、語っていた。麻紙にインクで描いた小品はより基底材と描画材の関係に時間を内包しているように思えた。一見油にも見える絵画はアクリルなのだが、彼の雰囲気にはアクリル以外でどうなるかも見てみたい。時間を宿すにアクリルはどこか性急な画材に思えるからだ。30日まで。

2005.7.26 華やぐ女たち エルミタージュ美術館展 岩手県立美術館 オープニング 今日から開催のエルミタージュ美術館展。特に今展は16世紀から19世紀末に至る女性肖像画を同館で常設展示されるコレクションから厳選しての構成。ロレンツォ・コスタ、ルーカス・クラナッハの貴婦人の肖像画から19世紀末ともなると印象派の影響も読み取れる、時代的には幅のあるヨーロッパ絵画の系譜を五つの時代に区分して説明をしながら華やぐ女性像を展開する。最初は画面のマチエールやディテールに目がいき、その技巧性の高さに500年前の絵画であることを忘れて見入る。現代の美術表現は画材に対する依存はどんどん弱まっている。アクリル絵の具にしても新しい材料であり、数百年後の保障などないに等しい。それよりも今の気分の方が重要なのだろう。それに比べるとテンペラから油彩に移行した時代に基底材との関係を研究しながらヨーロッパの伝統絵画は成熟していく。ふと女性像ばかり見ていたことに気付くという感じだ。こうして女性像だけ眺めると、なんともいえない壮観さと、モチーフとしての女性の意味を改めて考えさせられるようだ。「芸術表現は女性なしには起こりえない」という解説をプレス会見でエルミタージュ美術館からの責任者からお聞きした。そのことの意味は、意外と深いのである。今回の陳列作品における女性像に込められた作者の思い、そして多くがモデルを用いているのでモデルの女性の思いを考えることはそれぞれの時代における画家の眼差しと、モデルを通して垣間見られる女性の社会的ポジションの変化を知る上でも示唆を含む。また服飾デザインの見地からも、当時のファッションの先端を知る意味でも興味深い。19世紀後半のジャン=ジョゼフ=ベンジャミン・コンスタンのマリーナ・デルヴィの肖像ではそれまでの装飾性の高い締め付けるような、またはシルエットを強調するようなデザインから喪服を連想させるようなシンプルな黒のドレスが新鮮であり、細部を省略した描き方や、モノトーンの表現は何か現代性を一足早く感じさせるかのようだ。11時よりアートスペースにおいて記者会見も開かれた。日本びいきで日本の美術館は相当訪れている関係者は岩手県立美術館の印象について、気になる点があるとすれば、やや立地的に中心から離れている点が気になると。短い滞在でランドスケープを描ける感覚、美術館の機能を真に考える視点はさすがだと思わされた。9月25日まで。月曜休館

2005.7.24 N2スタジオライブ 5 岸 伸介個展 石彫:《往環−依》 YELLOW  PLANT GALLERY 岸さんの石彫作品が高めの台に載ってぐるっと会場を取り巻く。中には石仏のような?作品も片隅にある。抽象性を持った作品群は前から行われているものだが、よく見ると曲面性を持ったものや円を取り入れたものなど、それまでの手を入れない素材そのままの表情と荒く削った面や磨き上げた部分の対比をシャープな切り口(断面)をもって見せている幾何学的ともとれそうな多面体な作品にしばられていないようだ。個人的には自分の作品の中でもNORTH WINDシリーズにどこか近いものを勝手に感じて感覚的な共通項を感じていたものだ。ただ会場に置かれていた作家の文章からは、より岸さんは人間的な出会いや感覚を重要に考え、さまざまな意味での「往環」を作品の血肉にしようとしていることを感じた。彫刻を見るときはよく作品の裏側にまわるが、岸さんの作品は意外に正面性を持ったものが多いようで、そのことの意味を考えていた。31日まで。火曜日休廊。

2005.7.17 アートシネマ上映会 菅木志雄作品「存在と殺人」「集散−囲束」 岩手県立美術館 「存在と殺人」は横浜美術館での大規模な菅木志雄展の際に発表されたと記憶するが、あの時は映画までは観られなかった。ずいぶん遅れてみたが、120人以上は楽に収容できよう会場にたった二人。ここでも現代美術系の認知度が菅木志雄をしてもということである。今まで開催された岩手県美の企画展の中で斎藤義重展がワースト?とかでもわかる。映画のほうはかなりマイナーというか菅木志雄を知らないと理解不能というところか。台詞がまるで菅さんの作品の解説のようで、役者なかせだったろう。殺人というブラックな内容を芸術家である容疑者を刑事が尋問することだけに全編費やすと言う単純ながら、追い詰められながらも、理論的に自らの犯行を正当化する芸術家の主張とそれに嵌らないようにする刑事のやりとりがなぜかおかしい。「見るということと、見えるということは違う。したがって自分が犯人であるという状況証拠は無効であって、目撃者は何も自分を知るすべもない。」「犯人は自分が見られても、見えていない つまり存在の領域と見るということを知ってあえて人目につく様なあのような行動をとったのか」などという(正確な台詞の内容ではない)やりとりが菅さんの作品を知らなければ分からないような内容。明日も上映が予定される。 

2005.7.13 揺らぐ体空−菅木志雄インスタレーション  閉館間際なため三点中館内の二点のみ観る。岩手県立美術館 展示期間2005年6月28日−2006年3月12日

2005.7.9 −北に澄む 村上善男展《萬鉄五郎に民俗、岡本太郎に民族を覚醒された美術家の制作50年と今・・・》 萬鉄五郎記念美術館 オープニングセレモニー 18:00からのセレモニー及び19:00からの舞踏公演に地元東和町からまた県内外から大勢が集まった。オープニングでは千葉館長の村上氏へのエピソードや残念ながら出席叶わなかった村上氏に代わって夫人が氏の7月9日午後3時に書き上げたメッセージを代読された。その中で20年前萬で第一回企画展を開催してもらい、そのことが自分を津軽に駆り立てたという回想とそしてついにこの地(岩手、東和)に帰ることができましたと読み上げられた。作家にとって最後にもどるべき場所というのはやはり故郷なのだろうと氏と東和を重ね合わせずにはいられない。作品展示は先日、川崎での展示も観ていたので、あれだけの作品数を岩手ではどう並べるのかといらぬ心配をしていたが、さすがにスペースはきびしいものがある。一階に氏の初期からの作品が飾られ、二階に続くアプローチから岩手の民俗、民族と岡本太郎の芸術、萬作品とがオーバーラップされ、隣接する八丁土蔵にも所狭しと初期作品、二階のハイビジョンシアターに近作が並ぶ。館の苦肉の策と見えるが、何かそのようなことも含めて今回は特別に氏を郷土が優しく祝しているようでもあった。もう一度ゆっくり観たい。9月19日まで。
また、19:00からは館の裏山で村上善男の津軽期へのオマージュとして舞踏家 雪雄子公演が行われた。ほどなく日が暮れる東和の山並みを背景に全身全霊で雪のように舞う姿は、極めて象徴的であった。鶴岡、函館、東京、津軽と旅し、村上善男は津軽の選択に間違いないと雪に断じたという。暗黒舞踏の創始者土方巽に出会い、北方舞踏派の山田一平に導かれ、92年津軽に移住した雪の舞は北の魂をゆさぶる。萬の見た風景も貫き太古の精神にまで繋がる北の魂の現出と思えた。


2005.7.5 熊谷行子展 LOFT GALLERE 七月の企画展  岩泉から久慈に抜ける途中の山の中で偶然発見。KIURINAI KOBOのショウルームが木をふんだんに用いて去年の7月にここにオープン。そのロフト(二階部分)を中心に、建物の外壁にも数点。モダンアート会員で活躍する熊谷さんの藁やロープを使った造形はよく知っていたが、今回は何と具象的な桜などの風景画(油や顔料か)も半分。正直驚いた。館内は木の香りでヒーリング効果。主になるのは工芸作品だが、その完成度や技法的な興味は、逆にどうして美術だ現代美術だ、工芸だと区分けされ交わらないのかという垣根論に思いを馳せる。7月31日まで。

2005.7.3 諄子美術館開館5周年記念コレクション展および清水 敏男 氏記念講演会 諄子美術館、生涯学習センター 諄子美術館が北上に開館して5年が経つ。個人のコレクションおよびオーナーの眼による企画展だけで今までやってこられたことは尊敬に値する。一個人がコレクションした作品が150点とも聞く。アートへの理解があってもこれだけコレクションするには相当な犠牲と勇気がいることは想像に余りある。清水氏の講演でも感じたのはアートとは人と人の間で成り立つということ。諄子さんの活動はアーティストと社会を地味な一歩一歩かもしれないが確実に繋いでいるのだと思う。私の「遠いゆきどけ」も自然光の中で守ってもらっているようだった。7月16日まで

2005.7.2 溝口昭彦 展 オープニング クリスタル画廊 溝口さんとは昨年の萬鉄五郎記念美術館での企画展で御一緒させてもらったが、着々と作品をその後もつくっている。今回も紡錘形(Spindle Shaped)が作品の主なるテーマと見える。一時期のある種、弱さを持ちながらも作品は構造的にも思えた大作から、最近は映像(VIDEO)を透明なビニールシート(ペインティングやバッジなどが施された)で作ったスクリーン作品にオーバーラップさせた作品や、小さなこれまた弱弱しいドローイングやオブジェをユニット的に結合させ大きなつながりを見せる作品など変化もしている。ここで「弱いもの」という表現をしたのは以前作家本人も用いていたように記憶する。強く画面が主張するのではなく意識的にこわれそうな表現をしているのだと思う。その力の抜き具合はとても微妙なものだが、そのふるまいは美術と言うもろもろの枠組みに対する氏の姿勢として強く印象付けられる。17日まで。

2005.6.30 出町 隼人 個展 「生成」 ギャラリーla vie 二期構成による展示のモノクロ作品の部。出町さんの緻密なエッチングが今回はコンテによるドローイング風にアクアチントで表現しているのか、少々技法的に不明であるが、以前の作品の見え方や手法を反転させた試みなのか。久々にロジッコも覗く。

2005.6.27 菅 木志雄 展 Gallery彩園子I,II オープニングパーティ 深夜まで。今回の展示は、現在岩手県立美術館で展示中の氏のインスタレーションの流れの中で?連続しての展示。彩園子の二会場に違ったタイプの作品を設置。一つは防腐処理された角柱を二本立て、部分的に角材を削り落としたその断片が床面に大きな円を描いたり、一箇所にまとめられ対比させられているタイプ。またもう一方は白と黒のカラートタンを11枚、円環状に床に並べる。白黒交互だが白が一箇所二枚連続する。置かれた形に合わせ鉄のプレートが形をなぞる。また各板の上下に10cm〜15cm幅ほどのコの字状の切り込みを入れ、帯状に直角に折り曲げる。どちらの作品からも物体の在り様というものをほんのわずかな行為で視覚化する意図が見える。削られた木片が主なのか残った角材が主なのか、トタンの裏と表の関係、白と黒の互いの依存の関係、そして、整合性と不合理性・・・そんなことが透かし見える気がする。使用材料の出どころが市内某DIYショップと見られそんなところを見るのも面白い。7月2日まで。終了

2005.6.25−26 東京都現代美術館 「アート/エコロジカル・コンシャス 1960−2005 」 磯辺 行久 講演会 その経歴は、いわゆる美術家のそれとは大分違う。芸大卒業後、ニューヨークに渡り、ペンシルベニア大学大学院で自然科学修士号取得、労働許可証取得。ニューヨーク市公園課勤務。ニューヨーク人材局等勤務。米ペンシルベニア大学大学院卒業(MLA)。第一回アース・デイの企画に参加。麻薬療養施設への派遣。帰国後、73年より(株)オリジナル・プランニング・チーム設立。今日に至る。最近では妻有アートトリエンナーレ2000、2003への参画でもその名を見る。はっきり言って、アートとは何かという無言の痛烈なる応酬を受けた。美術家による美術のみの視野にたった話しは何度も聞くが、磯辺氏はニューヨークにおける数多くのアート・イベント企画やご本人の当時の作品をスライドで解説しながらも、自分がアーティストだという断言は避けるかのように見える。ただ言えることは、アートが環境問題や人道問題において効力を持ち得、社会に開かれていた(少なくとも60年代のニューヨークにおいては)。アートはとかく目的として捉えられることが多い。日本の美術教育も結局何も教えることはできなかった。アートにとって重要なのは目的ではなく、社会に向けられる手段に成り得るということという言葉(勝手に要約すれば)が、自分の中でもタイムリーに写った。越後妻有アート・トリエンナーレでも氏の投げかけは実に興味深かった。地域の歴史を掘り起こし、その記憶を視覚化し、人間と自然の関係を河川工学やもっと現実的なそこに生きる人々の利害関係といった次元までも重ねる。膨大な時間を費やし実現した信濃川のもと流れの軌跡(人間の合理的、画一的な理論で川の流れまでが人間に都合のいい様に変更させられている)を視覚化するプロジェクトにおいて、地主の農民がぽつんと「風は川の流れを覚えている」と言ったのが、氏自身はもちろんのこと聴講していたわたしたちにも強く印象に残った。

東京都現代美術館 常設展 日本の美術・世界の美術−この50年の歩み 開館10周年を迎えた区切りとしての二期に分けたシリーズによる常設展示。1940年代から1960年代までの戦後日本の美術の動向および「アンフォルメル」、「ポップアート」、「ミニマルアート」と言った世界的な美術の動向をコレクションから構成。また特別展示として山口長男、李禹煥、サム・フランシス、靉嘔、ナム=ジュン・パイク、宮島達男の特別展示も見られる。個人的には李禹煥の作品はいつ観てもいい。宮島達男の赤色デジタルカウンターは青色LEDと比べてやはり熱を出すのだろうか、会場は静かに熱を帯びていた。8月21日まで。

出光コレクションによるルオー展 東京都現代美術館 今年、岩手県立美術館にも巡回する同展を一足先に観た。と言っても本日東京展は最終。同館でハウルの動く城 展開催中のためかいつになく館内は人が多い。いつもこのくらい入っていればいいのでしょうが・・・。ジョルジュ・ルオーについては詳しくないが、ステンドグラスを思い起こさせる重厚で力強い絵画は油絵でないとならないことを容易に認めさせる。そのマチエールをまじかに見ると複雑に色が重なり合って重厚さを出しているというより、絵の具を塗り込めることが信仰の深さとして圧倒的に迫りる。最初は作品数が少ないのかと思わせる展示からその後は、これでもかというほど作品が並ぶ。一つ一つの絵というよりも総体としての印象の方が強い。6月26日まで。終了。

岡倉天心展 ワタリウム美術館 ワタリウム美術館ではここ数年現代美術系の企画展示に加え、教育関係の好企画で注目される。以前見たレッジョ・エミリア市の幼児教育の取り組みを紹介した展などの時も、幼稚園や保育所関係の方など普段と来館者の層を拡大するのに成功していた。また会期中関連した多くのシンポジュウム等を開催し、リピートさせるねらいも見える。今回、日本の美術教育の萌芽、発展において極めて重要な人物である岡倉天心に、今この時代に多面的な角度でスポットを当てたことは興味深い。ややもすると天心は、その全方向的な思考に逆に捉えどころのない天才として、言説をも遠ざけていたのかもしれない。展示はワタリウムの決して広いとは言えない3フロアーに分かれる空間を、重層的に密度をもって展示。途中中二階に天心が瞑想し、思考を深めた茨城県五浦海岸に立つ六角堂を模したコーナーもあり、畳が敷かれた高台で疑似体験が出来る。あまりに時代を超越し、時代を駆け抜けた天心を一言では語れない。「茶の本」(英文収録版)と関連した書物を購入して帰る。 6月26日まで。 終了

あまりにこのところ観た展が多く、記録が追いつきません記憶も薄れるので・・・
 ルーブル美術館展 19世紀フランス絵画 新古典主義から古典主義へ 横浜美術館 

 北に澄む−村上善男 展 岡本太郎美術館 同展はこのあと岩手の萬鉄五郎記念美術館に巡回するので、岩手展でまた記すとして、ここでは作品と場所のことについて。村上善男氏は盛岡生まれで花巻や盛岡で教員生活をし、制作の場として仙台、弘前と移り住んだ後、現在は盛岡在住である。氏の作品は岩手県立美術館で見られるが、以前は盛岡よりも宮城や青森で作品に触れる方が多かったように思う。しかし宮城で観ても、青森でも作品とその場所とが、生き写しのごとく重なり合う。それはもう少し広げて東北と重なるとも言えようか。それだけ”東北”という強い磁場の上で、作家はその磁力に揺さぶられながら作品をつくりつづけているのだろう。今回川崎市岡本太郎記念美術館で作品に出会えたことは新鮮であるとともに、岡本太郎氏が東北に惹かれこの地を何度も訪れたことと、村上善男氏との出会いによってこの場所(川崎)で展が開かれているということが作品に向かうとき、自分の中でこの場所と繋げるのに時間を要する気がしてならなかった。川崎展は7月3日終了。

谷口吉生のミュージアム 東京オペラシティアートギャラリー 

オープン・ネイチャー/情報としての自然が開くも NTTコミュニケーションセンターICC  

2005.6.22 絵画6人展 ギャラリーおでって 岩大芸術文化課程美術科第一絵画研究室の6人による。卒業制作展前のこの時期にやっておきたい、確認しておきたい事を展覧会を通して表そうということなのだろう。印象的には若さ故に煮詰まらない部分と、逆に守りに入っているような煮詰まったものがある。経験的なものは刺激を与えればいいのだが、すでに予定調な感じをいだかせるところは−だと思う。期待を込めて。23日まで。

モダンアート盛岡展 ギャラリー彩園子 


2005.6.19 N.E.blood21 宇田 義久展 リアス・アーク美術館 平面作品と立体作品がバランスよく展示されている。平面はパネルに木綿布を張り、アクリルで染めている(描いているのだろうが)。その際に布に平行に連続して現れるギャザーをつけることで、後で塗られた水を多く含んだ絵の具が襞にたまり深い濃淡を見せる。またスクウェアな木綿布に平行に糸を並べアクリル絵の具を何層にもかけた作品などもある。布に仕掛けたギャザー、微妙に直線ではない糸のラインは、恒常的な視線に何らかの気付きを与えているように見える。立体は昆虫(甲虫か)のフォルムを思わせるものや、行燈のようなものなど。一見表面の仕掛けやその独特な形に目がいく。しかし作品を離れて観ると、そうした細々としたディテールはどうでもよくなってくる。美しい蝶の鱗粉をなぜか思い起こした。7月3日まで。

2005.6.17 うちわ展 ギャラリー彩園子 恒例のうちわ展 なんともうちわのフォルムって涼しげでいい。各自美しいうちわのかたちをいかしつつどう作品にするか。観てる方は楽しいですね。大人の作品も子どもの作品も境界なく見れるところがみなさん心得ている感じです。18日まで。

2005.6.13 福田繁雄 デザイン館 二戸市シビックセンター はじめて訪れる。総工費20億5千万円とシビックセンターのパンフにある。馬渕川沿いの好立地に屋外展示も含め堂々たる施設。が、どれだけ人々が訪れるのだろうか。二戸市という決して利便性のいいとは言えないこの地に県内から、いや県外からどれだけ人を呼び込めるのか。市のシンボルとして誇れる立派な施設だけに、機能させることの難しさは想像できよう。さて、福田繁雄さんについては一時期この地で青春時代を送ったこともあり、二戸の出身と思っている人もいるのではないか。それほど岩手とは縁が深い。作品も折に触れ見てきたように思うし、印象に強く残っている。今回展示の代表的なポスターやオブジェも大部分はどこかで見ている気がする。見るということに働きかけるこれらのトリッキングな作品は、当然観客があって作品の仕掛けが効力を発揮する。名画を大切に保管する様な時間は福田繁雄の作品には与えてならない気がする。少なくとも市民には二度、三度と足を運ばせる場所であって欲しいものだと願う。場内にビデオコーナーがあり神戸?での記念講演が放映されていた。その中で岩手について、母親の郷里である岩手に一時疎開したことについて、「岩手からは宮澤賢治や石川啄木など暗い人しか出ていない」と笑い飛ばしていたのがちょっと印象的。それは謙遜なのかデザインにはマイナスという意味なのか・・。

2005.6.12 菅沼 緑 展 楕円な日々 湯本美術展示館 気持ちの良い、彫刻だ。菅沼緑さんの彫刻は、「美術」とか「彫刻」といった構えを与える前にあっけらかんとそこに存在する。十種類以上の異なる木を大まかに楕円板状に切り出し、正面はほぼ均等な厚さをもったエッジからせり出すようにゆるい曲面を与えている。壁にかなりの数の楕円な彫刻が掛けられている。その手わざは実に素朴と言うか、意識的につくり過ぎないでいるように読める。個々の楕円は一つ一つ微妙に形がことなり、一つ一つの木とそれぞれに会話しているかのようだ。楕円は作りやすいしさらに完全な円なら、完全な単純さを持つのだろが、緑さん曰く「円をかこうとしても、楕円になってしまう」(楕円な日々という冊子より)と。ちょっととぼけているが、つくるということの意味や、ものと表現することの関係を、楕円形のユーモラスな彫刻を通して透かして見ようとしているのだと思う。12日まで。終了

田村晴樹木版画展 しずくいしギャラリー 田村さんは県内では一関などでも発表されているので久々な感じだ。しずくいしギャラリーは県道1号線から沢内方向に曲がりすぐにわきに入るとコテージ村の中に見つけられた。コテージが間隔をおいてぽつぽつと点在する。その光景は日常的ではない。土地が痩せていて農業にも厳しい土地と聞く。しかし訪れるものにはギャラリーの窓から広がる風景は日常の喧騒を忘れさせるようだ。ギャラリー内には木工、染色、洋画、陶芸などの作品が並ぶ。そんな中に田村さんの作品があった。木版画というイメージがどうも自分の中に暗色で、線の太いそんなイメージが出来上がっていたが、田村さんの木版は透明度があり不思議な浮遊感がある。特に今回はギャラリーの大きな一枚窓から入り込む北の光を受けて、空気まで作品にしているように思えた。26日まで、土日のみ開館。


2005.6.11 ヨシダヨシノリ 展 ギャラリー彩園子 ヨシダヨシノリさんはだいぶ前から、ヌード写真の切抜きによるコラージュを制作している。およそ4年ぶりの個展と聞くが、今回は鏡面効果による写り込みによる実と虚とを混在させた表現に変化している。以前の様にこれでもかとグラビア写真の切り抜き?をコラージュし、もともとのイメージを増幅、または無意味にさせたような作品から、今回は何か装置のような仕掛けの方に気がいく。作品は一通りではないが蛇腹状の構造に交互にミラーシートが貼られ、コラージュが写り込むものなど。雑誌のグラビアという印刷物自体の意味が4年前とはインターネットの普及で様変わりした。そういう意味で同じヌードコラージュでも今回はメディアそのものの社会的変化によって、当然見え方が違ってくる。ヨシダさんはイメージをストレートではなく隠す方向に向かっているようだ。11日まで。

2005.6.7 耳の器 リブリッジ・エディット企画展NO.4 toru watanabe kae higuchi 20枚の綴られない本 リブリッジ・エディト 前回リアスアークでの発表も観た樋口佳絵さんのペインティングが並び、手製?の素敵なテーブル(と椅子)に今回限定300部で発行された絵本作品が置かれ、閲覧できる。会場はとても小さな真っ白いスペース。作品は小品が多いが、合板だろうかに下塗りしマットな感じで描かれた多くは少年や少女のさりげなくもどこかひっかかるような情景。表面のクラックも手伝い、遠い記憶を呼び覚ます。21日からは銀座の西村画廊での発表も組まれている注目したい作家。初日でもあり会場にいらした佳絵さんともちょっとお話し。19日まで。

2005.6.6 岩手の近代洋画100年展 再出発と興隆[昭和後期] 石神の丘美術館 この三館企画展も二回り目で見ている。第一印象は残っているので、ディテールや興味のある作品を見る。ちょうど盛岡クリスタル画廊で百瀬 寿の60年代 展が開催されており、石神に展示されている「Scat at Dawn」(三点組)油彩をあらためてクリスタルに展示されている「Glorious Sunset」4点組 油彩と比較してみる。どちらも幾何学的でオプティカルな効果が手塗りで表現されている。「Scat at・・・」の方はグラデーションがドット(円)で塗り分けられている。このドットを手描きで無数に描くことは大変難しいのだが、筆の痕跡もほとんど感じさせない。それによって絵画上の構造にだけ意識が向かうことに既に成功している。このことは後に発展していく究極的に手の跡を残さないグラデーションの仕事にも共通して見られる点であろう。7月3日まで。

2005.6.4 福井良之助 孔版画 展 オープニング 岩手県立美術館 福井良之助については1957年から1965年頃までに集中してつくられた孔版画作品でよく知られている。油彩画作品は常設のコレクションで「みちのくの冬」を足を運ぶたびに観てきた。気に入っている作品であるが「みちのくの冬」と彼の孔版画作品とはどこか別のもののような印象が少しあった。福井良之助のイメージとしては版画、それもガリ版刷り版画というふうにつくりあげられていた。今回は、良之助の120点あまりの孔版画と下絵等資料60点と油彩画15点によりこの作家の全貌を紹介するまたとない機会となっている。まず孔版画についてだが、彼の作品に見られる緻密な刷り上りと版の構造のシンプルさとの間の謎が前々から気になっていた。所謂ガリキリとは蝋原紙を鉄筆でなぞり、それによって開いた孔部からインクを落とす、以前、学校などで広く使われていた印刷手段である。その原理は同じでありながら、これほどまで深い世界を表現できることにまず驚かされる。作品は決して大きくはないのだが一点一点は、線と色面が無限に透明な重なり合いを見せながら、深い静けさと緻密な精神の襞を具現化しているように思う。どの作品にも魅力を感じるのは、偶然性とはある意味対極にある、下絵から始まる計算し尽したプランニングに見られる構成力が抜きん出ているからではなかろうか。静物、人物、コラージュ風な作品、シュールな作品・・・タイプも多岐だが一貫した透徹した眼差しを感じる。油彩画については今回、初見のものばかりだったが、孔版画作品と油が何かす−っと繋がって見えた。作品の再現性においても展カタログの素晴らしさにも目を見張るものを感じる。7月18日まで。

百瀬 寿の60年代[油彩画、版画] 盛岡クリスタル画廊 オープニング 現在開催中の岩手の近代洋画100年展にも石神の丘美術館に60年代の百瀬さんの作品が出品されているのでタイムリーな企画。石神の丘でのオプティカルな幾何学模様のペインティングも驚いたが、ほとんど当時の作品を直接見たことのない多くの初期作品がクリスタルに並んでいる。作品は前述のオプティカルな油彩画に加え、別バージョンで雲や植物の一部かを拡大してシルエットにし色面をずらしながら円環の中に重ね合わせたものも初見。色調が明確でシルクを思わせることからかウォーホールを喚起させる油彩画だ。それに学生時代のエッチングやドライポイントとかなりサービス?した内容。シルクのグラデーションからしか知らない者には、60年代は非常に興味深い。形態こそ違うが油彩画はシルクを思わせるほど精巧に手塗りされている。”当時シルクがなかったから(身近ではなかったという意味だろうが)”という百瀬さんの話が聞こえたが、シルクスクリーン的なというか、版画で可能な方法をあえて手で描いていたこの時期というものはその後の百瀬さんにやはりつながる前兆と読めてならない。 26日まで


2005.5.31 キクチジュンtypeII フォトプリント展 クラムボン キクチジュンさんの取り組みはいつもニヤッとさせられる。今回の写真作品はボケプリント。主に女性のポートレートや自然の風景の中にやはり女性が写っている。しかし全くモデルがだれなのかどこなのか判然としない。もはやバックの風景と完全に溶け合っているかのようだ。しかし手ぶれというより意識的に焦点を実像に結ばないこの写真は、被写体があってそこにピントを合わせるという当たり前の写真術の意味を問うかのようだ。記事でだったか、人物などの実像に焦点を結ばなくても空気中のどこかの光に焦点を結んでいるはずだという意味のコメントが印象的だった。水彩紙か版画紙にデジタルプリントしているであろう作品は、本人のなかに絵画的質感をだぶらせることで一層意味を曖昧にしながら、新たな意味にコンバートしているようだ。さらに言えばデジタルプリンターによるプリントは言うまでもなくマルチプルそのもので作品としての危うさを身に纏う。そんなこと含めてニヤッとさせられる。6月4日まで。延長展示換えあるかもとのこと。

2005.5.29 N2スタジオライブ 4 小野嵜 拓哉 展「素描 霧の日」 YELLOW PLANT GALLERY ギャラリーに近づくといつになく車が停まっている。そして真ん前に指先マーク。すぐにご不幸があったのだろうと察した。道端にこちらもウィンカーを出して停め、恐る恐る入り口に耳を近づけてみた。すると中から雑談の声。思い切ってドアノブを回すと主宰の新里氏が。遠慮しておいとましようと思ったが、むかい入れてくれた。大丈夫なのかと思いつつも小野嵜さんもいるのでしょうがなく。小野嵜さんの作品は主に油だが大画面に黄色い線を無数に描いたものが印象的だ。前に彩園子でも話したが白い画面上の黄色い線の集積は、まったく具象性はなくミニマルなほどに単調な行為に見える。白と黄色は明度がともに高いことから画面に向かうと目がちかちかする。こんなに描いてるのに何も描いていないように見えるという彼の言葉にはちょっと自分の作品とも共通するものを感じる。しかし小野嵜さんは極めてストイックにこの無効にも思えるような描き方を続けている。黒地に青の線描きも小品で目をひいた。黄色の線が下地の白と絡み合う油の特性を生かした新作も面白い。6月5日まで。

長橋 繁洋画展 ヴェネティア紀行− GALLERY KAWATOKU 22歳で渡仏。30年に渡りパリで制作を続ける。ヴェネツィアの風景が適度に単純化されながら全体的に中間色でフラットに描かれている。どの作品からも均質な完成度と独特な様式性を見る。今回初めて描いたという日本の風景は木の描き方だけでも日本だと感じさせる。同じ描き方でもそれを感じるのは不思議だ。そして日本の風景はなぜか日本画に見えてくる。なのにヨーロッパの風景は洋画に。6月1日まで。


2005.5.27 奥山淳志写真展 up cafe' 「てくり」(5月創刊)でも巻頭特集されているup cfe'とこの雑誌を飾る奥山淳志さんの写真作品の組み合わせ。up cafe'はそのままでも十二分に魅力的な空間だが、初展示となる写真作品ともよくなじむ。作品からは懐かしいようで決して過去として片付けられない、時の色が刻まれているように感じる。カラーであるが、何か色がぬけ落ちたような感覚を覚えた。それは原色が主張しすぎるよりも、かえって自然な盛岡を表しているいるように思えるから不思議だ。6月5日まで。

2005.5.22 常設展 夏季展示 岩手県立美術館 この13日より展示替えとなった常設展示室だけ観る。アンテスとカチーナ人形展は本日最終。常設は16年度新規に収蔵された作品が最初に並ぶ。佐々木精治郎のパステル画、油彩、村上善男の油彩、ポスター(シルク)、アクリル、内藤春治のブロンズ、そして自分と歳が同じ本田健のチャコールペンシル。また別室に舟越保武の彫刻2点。どれも新鮮に目に飛び込んでくる。本田健さんはチャコールペンシル一本で遠野の風景を克明に描写する。今回の新収蔵作品は平成2年の作「山のくらし−田んぼ」。横幅4mと聞くが、会場ではそれ以上にも見える大作。それはその後の作品と比較してこの時期またはそれ以前のチャコールペン作品にはその後の作品にはない構図上の特長と個人的には感じる。80年代後半の発表も記憶にあるが、今と比べると構図に意図的な意識が読み取れる。逆にその後はそれを意識させないか、極力介入を避けているように感じる。遠近法を有効に用いパースペクティブに切り取られた田んぼの情景はその一本一本の穂先のざわめきまで描き込んでいるかのような臨場感で見る者に迫り来る。8月7日まで。

2005.5.17 常設展示 MORIOKA第一画廊 関根伸夫の30年前の版画、草間彌生、舞田文雄などを観る。そうして上田さんとしばしお話し。「「ラトゥール」「フェルメール」にしたって30年の十倍もたって評価されている。」という話しが、最近30年周期についてちょっと考えていただけにぐっときた。
再び いわての近代洋画100年展 萬鉄五郎記念美術館 受容から個性へ(明治・大正) 当時のセピア色の集合写真に写る、一瞬の描刻は、作家諸氏の作品と重なり合いながら歴史の確かなる証言を示し続けるかのようであった。

2005.5.15 芸術家の手紙にみる心の発露 盛岡てがみ館 プラザおでっての6階にあるてがみ館へは二三度しか来たことがない。今回の展示は現在開催中のいわての近代洋画100年展と合わせるとよい。画家の作品に込められた、心の声、いや心の声の反映が作品となるのかと考えさせられる。普段みる岩手にゆかりの作家の作品も、作家の友人や知人、先輩宛の書簡と並べて見ると(実際そういう展示)、より作家の心の高揚、葛藤、自分への戒めといったものが自身の人柄と相まって見えてくる。澤田哲郎はがき 村上善男あて、橋忠弥書簡 山本勝巳あて、舟越保武書簡 太田俊穂あて・・・内村幸助書簡 村上善男あてなど双方の作家を身近に感じられる場合など余計に興味深い。内村さんには84年だったかの個展の際、朝日新聞の記事で作品評を書いていただいた。とても詩的な文章で、それまで見たことのないような文体にとても感銘を受けた記憶がある。その内村さんが村上氏に対しても書簡の中で、ユーモアのある文体でいながら、しっかりと持論を伝えているところが妙に、生前の氏と重なり合う。地味ではあるが興味深い企画であった。8月29日まで

2005.5.13 栗木 映 展 イーハトーヴの風と光 カフェ クリンゲンバウム ポスター原画や装画、絵本等でも活躍している栗木さんはアクリルなど、パステル以外の画材も使用されているが、やはりパステル画が特長的である。作品には「ポラーノ広場の星」など宮沢賢治の世界が垣間見られる。イーハトーヴの光と風がやわらかいパステルの色調と質感をもって語りかける。今回は具象的なテーマ(岩手山を望む夜景など)にも取り組んでいるとのことだが、思うに栗木さんの作品には一見抽象的な作品の中にも多分に具体性が感じられる。いつも手馴れた上手さを感じる。31日まで。

2005.5.11 アンテスとカチーナ人形展 岩手県立美術館 三回目になる。今回はカチーナ人形を中心に。同じ展覧会でも二回目、三回目では新たな発見がある。カチーナ人形が入っている透明アクリルケースの左上部に何のカチーナかラベルで表示していたことに最初気付かなかった。そんな発見もあるし、カチーナ研究は意外と日が浅いというか、ネイティブインディアンと西欧の接触からかなりの間があることも、究明することを困難にしているのだろう。しかしアンテスのような世界最大のカチーナコレクターがいたことは貴重な資料の一括管理という点において意義深い。アンテスは今回の展覧会にいくつかの要望を出したと聞く。そのうちの一つに自作とカチーナ人形は別室で展示することとあった。ここでも美しい博物館を思わせる展示が独立して美しい。アンテスの先住民を敬う表れ。22日まで。

2005.5.10 FAKE×NAKED Vol.2 Photo blanc cafe free space 04 最近知ったブランカフェという場所を覗いたところ 桃生和成さんと氏家彰子さんの写真が店に溶け込むようにしっくりと。感想をノートにと言われるまではインテリアの一部と思っていた。ゴミを写した?作品がちょっとジェフ・ウォールを思い出させたと記してしまったが、深い意味はないコメントなり。岩大図書館でも展示したらしい。

2005.5.7 常設展?MORIOKA第一画廊 元永定正や関根伸夫・・・版画が多い中で前も気になったが橋本八百二のたしか1931年作の岩手山はいい。年代的に芸大を卒業後、先輩でもある萬の画風などの影響も感じられる気がする。他、橋忠彌など印象に残る。

2005.5.3 Yoshitomo NARA From the Depth of My Drower 吉井酒造煉瓦倉庫 サクラにナラヒロである。2002年の同倉庫でのナラヒロ成功によってさらにパワーアップしたナラヒロ そこには純粋に作品に向かうとときに受けるパワーと同様にナラヒロを支えるボランティアスタッフの熱意がビシビシと感じられる。会場は結構な人出で細かく仕切ったブースは入場制限も強いられる。しかしスタッフの笑顔は、決してビジネスのそれではなく、無償の笑顔なのだ。そんなことに感心しながら奥に進む。2002年の展以上に壁面や空間そのものを作品の一部としてテクスチャーを変えようという取り組みが随所に見られる。前回の横浜展(横浜とナラヒロ見ちゃいました)でも人気のあったチープな板材で小部屋(小屋)を再現したようなインスタレーションはより 会場全体に今回は及ぶ。ザリザリしたコンパネ(コンクリート型枠用だろう)が白くペイントされ使われている。あの古めかしい空間において、マッチしてるともミスマッチともつきかねる微妙な感じ。決してきれいには見えない。しかし真新しい壁紙でも貼られた壁に作品がかかるより作品がリアリティーを感じさせるのは 何なのか。それは個々の作品にそのままの魅力があるからなのだろうか。特にドローイングを見ていると奈良さんの感覚はまだまだ拡がっていく予感がする。今回は少々展示の仕方つまり見せ方に意識がいくが、何か次のステップを内包していると思わせた。いづれにしても地元で見る奈良さんは空気までもやさしく感じる。 5月22日まで。

2005.4.30 N.E..blood 21 樋口佳絵 展 vol.16 リアス・アーク美術館 東北・北海道在住の若手作家を紹介するシリーズも16回目。息の長い企画として完全に定着している。今回紹介される樋口佳絵さんは抽象的な傾向やインスタレーションが多い中で、具象性をとどめたタブローが中心だ。作品はほとんどパネルや合板を用い、白亜地にテンペラと油彩による混合技法だ。具象性と言ったのは、ほとんどの作品に人物(少年や少女に見える)が描かれている。ごく普通に描かれるモチーフでありながらなぜかその画面は妙に気にかかるのだ。それは作者の視点の置き様によるのだろう。まるでマクロに切り取られたような日常の断面や遠い記憶の中にだれしも持っているような子供達の群像などがフラッシュバックする。そこでは恒常的な視線が捉え得る情報量が、極端に視野が狭まることで何かが抜け落ちたような感覚を受ける。それは所謂構図的に画家が操作した結果と言うより、もっとオートマティックにズームアップした感覚に近い。描かれる人物は一様に同じような眼をしている。口元も中途半端に開いている。そこには個々の子供の個性は感じられない。しかしその劇場的な人物の視線や異様な人物の配列がかえって見えるままの情景以上に視線の危うさを引き出しているように思えた。出品作品は平面のほか、登場するモチーフがそのまま立体になったような着色された頭像も二点並び、この作家のこれからが期待される。5月29日まで。

2005.4.29 N2スタジオライブ3 高山 登 個展 「遊殺 首のない風景」 YELLOW PLANT GALLERY 個人のギャラリーとしては桁外れの大きさを誇る作家新里陽一氏の同ギャラリーの空間を計算した高山氏の大規模なインスタレーション。高さ何メートルあるのだろうか。空間を見上げると美術館でも展示できるのは限られそうな高さにある梁(鉄骨が渡っているようだ)からトレードマークの二本の枕木が垂直にぶら下がる。そして床面には1.5×3mの鉄板(工事現場などで地面に足場として敷かれる)が8枚敷き詰められ、6m×6mのスクウェアを構成する。鉄板上には一部に溶かした蝋?が流され、さらに水だろうか、液体が蝋にはじかれ不安定にとどまっている。会場内には枕木に塗られたであろう防腐剤(クレオソートか)の匂いが漂う。高山氏の作品は宮城のリアスアークや宮城県美術館、盛岡の彩園子でのインスタレーションが身近なところとして印象に残るが、おびただしいグループ展の経歴を見ていると相当回数を見てきたのだろう。一貫した姿勢は情緒や甘さに流されない硬質な物質性と底辺に流れる人間にむけられた(そう見える)精神がいかなる場においても楔を打ち込んでくる。平面作品も4点〜5点展示されているが物質感のあるいい作品だと思う。4月30日まで。

2005.4.27 斉藤義重掌展 MORIOKA第一画廊 1969年別冊文芸春秋のために描かれた原画15点を中心に。2003年の大規模な展覧会(岩手県立美術館)が記憶にも新しい。岩手をスタートし全国5箇所を巡回した展カタログ中、極めて詳細な文献資料欄にこのカットを見つけることができる。「別冊文藝春秋」第107特別号 1969年春 カットとある。義重さん(ギジューサン)の大きな作品からするとマッチ箱みたいな絵なのにどれも独立した作品として描かれている(挿絵として描いていないところがかえって魅力的)。小さくまとめようとか打算的なところ、または神経質過ぎず、欲もないというか、そんな意味のことを上田さんはとても上手い表現で愛情込めておしゃっていたが、その形容が思い出せない。最終日でもう観られないのかと思ったら余計に離れがたいような、それくらいめんこい小品。27日まで。

第4回[40cmの玉手箱]展 岩手の現代美術INDEX ギャラリー彩園子 この企画ももう四回目なのか。実行委員が中心に声をかけて出品者を募って常にこれだけ参加者がいることに毎年驚かされる。40cmという基準は今回もそう窮屈に感じない。全員が40cm四方というフォーマットもあろうがここはMax値だろうか。立体も多いし、一人で小さめのものを複数点数飾っている場合もあるし、全体に楽しい。ほとんど知っている方々なのでこういう場合どう出すのか興味がわく。いい作品が多いです。5月7日まで。

2005.4.24 いわて近代洋画100年展 受容から個性へ(明治・大正) 萬鉄五郎記念美術館 岩手の近代洋画の萌芽にあたって海野三岳、太田七郎といった先人がいた。岩手の近代化も中央から伝授されるかたちで、その教えを受けたものが地方の文化を高めたのだろう。その後「岩手彩友会」(明治39年結成)が岩手県初の美術団体として設立された。当初は日本画主体の団体だったらしいが、指導者の転出等で数年でその勢いを失ったと聞く。岩手において日本画から洋画に中心が移った時期とも一致する。もし「彩友会」が継続していたら岩手の日本画と洋画の関係に別の勢力図が見えてきたのかもしれない。つづく岩手初の洋画集団「北虹会」の役割が大きかったことは、中央で学んだ実力のある画家たちの名を見ても想像でき、その後の在京の美術家団体「北斗会」の活動に延長線上で結びつく。この時期、多くの優れた画家が育まれ、それは常に中央を介して確実なる岩手の近代洋画発展の布石となったことだろう。まさに近代洋画の受容による萌芽と個性の芽生えと括れよう。展カタログの平澤氏の論稿に詳しい背景が記されているので正確には参照されたし。萬鉄五郎の「裸体美人」は残念ながら5月25日(たしか)からの展示とのこと(現在国立近美)。7月3日まで。

いわて近代洋画100年展 躍動と戦争(昭和前期)もりおか啄木・賢治青春館 三館企画の中でも展示は特に近代化の躍動感を感じる。いわての近代洋画が自由(オリジナル)を獲得する過程と戦争の影が交差する。何か近代化に進む先にある暗闇を暗示するかのごとく、個性を輝かせる作品の背後に重なるものを感じる。展示は四面の壁が360度見渡せるため開放的だ。「七光社」、「素顔社」、そして在京の美術家団体「北斗会」、岩手の洋画近代化を牽引した画家たちの活動は戦争という深い溝を背負いながら、敗戦後もバネとなって岩手の今日の美術の状況の礎を築いたと言えよう。展カタログで中村光紀氏が、いわての近代洋画の萌芽期から、昭和後期までをつなぐ昭和前期の状況を詳しく述べている。7月3日まで。

2005.4.23 時間の時間 河口 龍夫展 国際芸術センター青森ACAC  15:00−中原佑介・河口龍夫対談 司会:浜田剛爾 ACACでの展示は、ギャラリーA,Bおよび野外展示により拡がりを持つ。野外には今年の冬の名残りとして大きな残雪の塊が池に浮かぶ。ギャラリーAはこれ以上空間にゆとりを持たせることも不可能なほど大きな”間”を持たせた展示。これも表現の所作を最小限にしても作品が成立することの証明。いろいろ言わなくても伝わるものがあるということは、究極的に作者の我(個性)を殺してもむしろ作品の構造として関係性が浮き彫りになるからであろう。
 作家と中原氏、そして浜田氏とのトーキングは興味深かった。河口さんはあくまで作家の立場で、中原氏は1970年の「第10回日本国際美術展 人間と物質」を引き合いにだしながら「人間」と「物質」の間にあるもの、つまりbetweenにこそアートを考える上で重要な意味があることを、あえて当時「アート」とか「美術」という語を用いずに提起しようとしたことを述べながら、話は現代におけるもはや二極論では説明が困難になりつつある現状において、未知なる関係性(三極論)の予感と人間性への回帰化の可能性も含めて話しは止まらなくなった。こんな面白い話にオーディエンスは会場の関係もありやや少ない印象。終了後ラウンジで浜田氏と会話。相当に思うことが鬱積しておられるのだろう(初対面だというのに熱く語ってくださった)。時と空間を生かしたこの施設の役割は大きいと思う。有意義な時間でした。


2005.4.22 いわて近代洋画100年展 再出発と興隆(昭和後期) 石神の丘美術館 明日から萬鉄五郎記念美術館、もりおか啄木・賢治青春館との三館合同企画、同時開催により始まる同展のオープニング(内覧会)。東北の一地域の近代化100年の歴史というより、全国的に見ても日本の近代洋画を切り拓いた数々の画家を育んだ(直接的にも間接的にも)岩手に焦点をあてて、「受容から個性へ(明治・大正)」「躍動と戦争(昭和前期)」そして「再出発と興隆(昭和後期)」という三つのテーマに分けて岩手の近代洋画の歴史を検証する内容とのこと。展カタログ巻頭に千葉瑞夫氏が岩手の近代絵画の歴史について、決して外来の洋画の流入に敏感であったわけでもなく、そうした流れによる秋田蘭画とも無関係であったという、岩手の後発性を指しながら、その後の近代化においてスピーディーに先覚者を生み出した点について述べている。三館を通して作品にふれることでおそらくそのスピードを体感できる展覧会なのだと感じる。昭和後期への流れを俯瞰する石神の丘美術館での展示は昭和20年の敗戦から、決してめぐまれた環境とはいえない中で、美術を志す情熱によって優れた指導者を集めた今日の岩手の美術教育の基盤をつくった「岩手美術研究所」、「岩手県立美術工芸学校」後の「盛岡短期大学美術工芸科」、「岩手大学特設美術科」へと脈々と続く系図、「エコールド・エヌ」、「N39」といった本県発の美術運動、また岩手をベースに独自の活動を継続する現代につながる作家たちにスポットをあてる。同カタログ中で六岡康光氏が戦後本県の美術復興の足跡について詳しく述べている。当時の美術教育とそこに集う熱い情熱には、つい現代に返して考えさせられる。歴史を時間と空間ごとタイムスリップすることは不可能であるが、ここに残されている作品は確かにその時代の空気を孕んでいるし、作者の言葉を永遠に代弁しているかのように見える。そして展で区切った100年以降、自分も含めていったい何が変化したのかふと現在と重ね合わせずにはいられない。7月3日まで。

2005.4.19 RODIN ロダン事典 監修/フランス国立ロダン美術館 淡交社 なる本を入手した。タイトルもそのまんまで何の飾り気もないA5変形サイズ?。本屋でたまたまこの本に手が伸びページを開いたところ、溜息が出るほど美しい写真に吸寄せられた。カラー150点モノクロ300点に12本の論文は大型本でもないが十分過ぎるほど充実している。日本屈指のロダンコレクションを中心に高度なデジタル撮影で撮り下ろしたというだけに平凡なロダン事典という”タイトルイメージ”を超えた写真芸術がそこにある。発掘された当時の記録写真をもとに知られざる秘密を解き明かしながら作品を眺めるのもいい。ブックカバーに期せずして「すぐれた作品は一冊の伝記にも匹敵する」というオーギュスト・ロダンの言葉が紹介されていたのが逆説的でなかなか。ISBN4-473-03244-2

2005.4.17 村上 善男 展 湯本美術展示館 今年は出品ラッシュの村上善男氏。川崎での展や岩手では萬鉄五郎記念美術館など一気にその全貌を確認できそうな企画が続く。この湯本美術展示館でも本県では未発表の平面が並ぶ。展示は三室構成で、第一室は村上善男への書簡を中心に構成、第二室は横浜市民ギャラリー個展(1975)、村松画廊個展(1970年シリーズ)からなり、第三室は朝日新聞連載「老いの気象学」「身体気象学」のドローイングが中心。川崎との会期が重なりそうなのでどうするのだろうと内心思ったが、ここの展示も力のこもったエッジの効いた内容であった。中心となる第二室は「気象シリーズ R系r圏k」など1970年から1975年に制作されたアクリル画である。氏については、60年代の注射針とポリエステルによる作品に遡るが、私にとっては70年代も半ばを過ぎてからその存在を身近に感じるようになったことと思い起こす。そのころは既に氏は周知の存在であり、遠く憧れの作家であった。80年代の初めに氏の発表でも有名な村松画廊の第三室(当時メインの部屋の手前に若い作家でも借りられそうな小空間があった)で東京で初めて個展を開くにあたって、村上氏に臆せずも紹介して頂き(名刺に一筆であるが)実現したことが遠い記憶として蘇る。その時も作品の厳しさとは別の寛容な一面がのぞかれたものだった。氏の作品は東北という空間に極私的な視点(フォークロアな)で向き合いながら、そこに立つものにしか感じ得ない磁場の上で、作品としての焦点を結んでいるかのようだ。その作品に向かう孤高の精神は、今なお、鋭利さを留め続けている。24日まで。

2005.4.16 西川肇一 展 盛岡クリスタル画廊 モノタイプとエンボス、鳥の子紙という作品データをもとに作品に向かう。作品から受ける第一印象は重要ではあるが、”現代モノ”の作品はそのデータを解読することで見えてくるものもある。一見、抽象的で幾何学的ともとれる大胆な色面の構成は”和”な雰囲気だ。DMの作品「Relationship of Black&Colors#121-'02」なども印刷からの印象と実物は違っていた。作品はモノタイプで明るめの複数色が下地に刷られ、その上に暗色を重ねて刷り、インクが乾かない間に版面にカットした細い紐を並べ、先ほどの画面を押付けることでエンボスにし、その際に暗色の下から鮮やかな下地の色が微妙に浮かび上がってくるのではないかと推測する。ぜんぜん見当違いかもしれないが、作品の成り立ちに興味を向かわせるタイプのように感じた。そう思ったときには、もう既にFirst Impressionは変容していた気がする。
30日まで。火休廊


2005.4.14 熊谷明希 展 ギャラリーla vie  綿布にアクリルだろうかパネルの平面以外は額装されているようだ。額にさらっと入った作品はいかにも短時間で勝負した感じでよどみはない。身体的なストロークと水を多量に含んだ絵の具の流動性に拠ろうとしているのだろうが、受ける印象は生すぎるかな。制御された奔放さもあってもいいのではないか。パネルの作品には逆に力が込められているのがわかる。16日まで。
LOGIKOでは千葉奈穂子展 3点だけだったろうか日光写真が見られた。


2005.4.13 アンテスとカチーナ人形展、常設展示 岩手県立美術館 再び。今回は落ち着いてはとても見られず。

2005.4.9 アンテスとカチーナ人形 展 オープニング 岩手県立美術館 今年度のオープニングを飾る展覧会だ。現代ドイツの巨匠ホルスト・アンテスの絵画、立体、版画と彼が収集したカチーナ人形の展示。少ない情報と知識で想像しても実際の展示を見なくてはほとんどこの作家について知らないに等しかった。会場入ってすぐのカチーナ人形の展示はまさに博物学的で、見やすい高さの台座(ボックス)の上で一点もしくは二点の人形たちが透明アクリルケースの中に時間が止まったかのように佇む。立体的な展示方法は360度どの角度からも見入ることができる。北米プエブロ・インディアンのカチーナ人形は万物に宿る精霊と霊力の象徴として信仰の対象であった。その不思議な面をかぶった人形は細部まで彩色された伝統的な衣装を纏い、実に安定感よくすっと立っている。正面性が強く、頭部の大きな人形はどこか幼児の絵のようでもあり、プリミティブな魅力がある。部族の儀式の様子が数枚のパネルで展示されていたがカチーナ人形そのままの男たちのその姿に、どこかSF映画のワンシーンに紛れ込んだような錯覚を覚える。展示はやがてアンテスの絵画のコーナーへと拓ける。彼が影響を受けたカチーナ人形を先に見たためかその頭部を強調した頭足人のようなフォルムもさほど違和感に思えない。それよりも画面の構築的な強さは意外な魅力に思える。色彩的にも置かれるべきところに置かれるべき色がのり、それはカチーナ人形の色彩の魅力とも通じる。近作の家をモチーフにした作品はより現代的で省略されシンプルに還元された家のシルエットが人類の英知の、そして部族の誇りの象徴として強い存在感をたたえているように感じた。いい意味で先入観をかなり裏切る内容であった。美しいカタログも印象的。5月22日まで。月曜休館 10:00-19:00

2005.4.2 八重樫 理彦 展 諄子美術館 早池峰山と早池峰神楽に魅せられ大迫に移り住んだこの若い作家は、本能的にその棲み処に吸い寄せられたのだろう。DMに印刷された 「岳川」という作品はパネルに麻紙、膠、顔料、墨、アクリル絵具による。一見すると拡大した刺繍のようにも見え、シンプルな図像は、フラットに記号化された意匠のようにも感じる。その手法はニューウェーブの日本画を思わせる。そこには近年見かける戦略的スーパーフラットなペインティングと東洋思想のマッピングが読み取れなくもない。しかし作家をこの東北の山間の地に引き寄せたものは表面的なものではないことがその真摯な取り組みに感じられる。作品は一通りの方法だけによらず、杉板を張りつけたパネルに胡粉を塗り墨で描いた早池峰の山々や筆のストロークだけによる流動的な作風など少なくとも数パターンがあるようだ。しかしそこにはある種の類義性を感じる。それはタブローの表面における共通した緊密さというか、支持体つくりから始まるこの作家にとっての儀式が観る側に共通した”清い”思いをいだかせるのだろうか。
オープニングに合わせ岳神楽を見ることもできた。清く強靭な舞であった。 5月15日(日)まで。 月、木休館 11:00−4:00


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