過去のVOICE  2008.4.1〜2008.9.30



2008.9.27 二人展 杉本美香・浪岡奈津子 Gallery la vie

2008.9.16  「いわての現代美術と出会う、夏」石神の丘美術館

2008.9.15 中村誠の世界展 POSTERS 萬鉄五郎記念美術館

開廊30周年 ギャラリー彩園子の現代作家50人展 Part5 ギャラリー彩園子T・U

2008.9 常設展示 山形美術館 第63回県美展 第50回記念 こども県展、こども絵画、国際交流展 山形美術館

20089.5 開廊30周年 ギャラリー彩園子の現代作家50人展 Part3 ギャラリー彩園子T・U

2008.9.4 常設展 青森県立美術館
現代美術 明日への展望 北東北展 青森県立美術館コミュニティギャラリー

2008.8.27 舟越 桂 夏の邸宅 東京都庭園美術館
アヴァンギャルド・チャイナ−〈中国当代美術〉二十年− 国立新美術館
作間敏宏「接着/交換」 Gallery 7℃

2008.8.22 鎌田紀子展 ギャラリーla vie

2008.8.21 郡山市・ブルメン市姉妹都市提携20周年記念 オランダ絵本作家展 常設展示 郡山市立美術館

2008.8.19 開廊30周年 ギャラリー彩園子の現代作家50人展 Part1 ギャラリー彩園子T・U

2008.8.12 アメデオ・モディリアーニ展 岩手県立美術館

2008.8.9 ゴトウ・シュウ 「アッ」と「マ」 展 アイーナ5階 ゴトウ・シュウさんが郷里岩手に戻られて初めての大規模な展であろうか。氏の作品はアトリエを置く八幡平市にある廃校を再利用したアートステーションギャラリーでは常設しているのでゆっくりと見せていただいてもいる。伺うたびに制作の様子も拝見していたが、盛岡での展示は遂にという感じである。まずゴトウさんの作品については70年代から80年代の作品も情報としても知っていた。ゴトウさんがグラフィックデザイナーをきっぱりやめて画家に転向されたあたりの記憶もいくらか覚えている。氏のグラフィック作品は極めて精度を持ったものだったと思う。なぜ絵具の粒子を積み重ねるようなドロッピングというコントロール不能な技法を選び、グラフィックデザインとはある意味相反する土臭い展開に向かったのだろうか。氏のそれまでの寸分の隙もないグラフィックワークと対比させて考えたものだった。しかしそのワイルドなドロッピング技法による絵の現れも、少しずつ変化を見せてきたように思う。近作では縦横無尽に時には細胞の増殖のように、または彼方の星雲のうごめきのような深い色彩をたたえながら深部へ誘導されるわれわれの視線は作者のアクションの変化を自然と意識の中でトレースさせられている。氏は「最近はもうドロッピングは(肉体的にも)出来なくなった」と言っていたが、支持体である紙の持つ物質的な厚みを絵具がゆるやかに浸透する時を得て、精神的な深みの場に見事に変換しているように思えた。

伊藤暢浩新作展 ギャラリー彩園子U

小笠原卓雄 展 ギャラリー彩園子 ギャラリー彩園子30周年記念展の一つで記念事業の実行委員長でもある小笠原卓雄さんの作品。ホワイトパイン材であろうか幅10センチ程、長さは90センチ程の白木がギャラリー空間に浮遊するように幾何学的な矩形を構成する。それは約90センチ角の正方形がユニットとなり全体としての大きな正方形を16等分している。白木には1mくらいの長さのステンレス棒が要所要所、下に刺さっていてお互い支え合いながら微妙なバランスで画廊の床に立っている。今日は展の最終日であったからか木が幾分そってバランスを崩し掛けて見える箇所もあったが相対的には影響を与えていないのだろう。そうした素材の持つ物質的な変化や当然作品のそばを通る人の動きなどを計算に入れつつ作品がある一定の秩序とバランスを持ち得るところが卓雄さんの作品らしいといつも感じるところだ。そんなことは作品における重要な部分であるのかわからないが、氏の作品には常に一定の質のようなものが見えてくる気がする。

2008.7.28 桑児 元 個展 六分儀
小笠原卓雄 展 ギャラリー彩園子 

2008.7.26 浅倉伸展 クッショニア ギャラリーla vie 個展は何度か拝見しているが、浅倉さんの作品には、うまく表現できないがいつも何か新しさを感じる。それは技法的な真新しさや形態によるというより、作者のアートに対しての立ち位置が起因するのかもしれない。発表場所も今回のようなギャラリーからアクセサリーでも売ってそうな間口一軒ほどのテナントショップのような空間とか、その都度展示方法も変えてくる。今回はクッショニアと題して手製のクッション状の作品が壁に構成されている。張られているのはビロード生地だろうか、見る角度によって光を反射し美しい表情だ。しかし生地が見えるのはわずかで、その表面は何か生き物が生息しているかのように縦横無尽な描線で埋め尽くされている。黒いペンによる描画はあたかもベースになるふんわかとした膨らみに逆らわずに気持ちがいい。作品の構造は極めてチープで百円ショップの張りキャン(木枠にキャンバスを張った)に綿を入れながら生地で包む。Fサイズだけでなく楕円のキャンバスも使用している。こうしたどうでもいい?部分と尋常でない緻密な描画とのギャップが余計に作品を注視させる。表面的な捉え方に過ぎないが今回受けた印象の一部として。

2008.7.25 2008年8月7日(木)−10月7日(火)会期で「日本のアール・ブリュット」展が花巻市にあるるんびにい美術館で開催される。るんびにい美術館は昨年オープンし、主に知的障がいのある方の作品を展示。ショップや喫茶、作業スペースも併設される。決して大きな施設ではないが、障がいのあるなしにかかわらず隔てなく”作品”に向き合える場所として地域を中心に着実にその活動を広げている。このいわゆるボーダレス・アート・ミュージアムで松下電工汐留ミュージアム(東京・新橋)で好評終了したばかりの「アール・ブリュット/交差する魂 ローザンヌ アール・ブリュット・コレクションと日本のアウトサイダー・アート」展の中から日本人出品者の作品を抜粋した展覧会が開かれるという。なんともタイムリーな流れと言える。まずは「アール・ブリュット」について定義を確認してみると、美術に対する教養や訓練を受ける機会のなかった人の芸術を指すが、狭義な捉え方では障害のある人の芸術等をも指す意味で使われる。思うに「アール・ブリュット」が近年注目される背景には一方向に芸術の価値を決めてきた社会全体の歪みに対する反動もあるのだろうか。まずは「アール・ブリュット」に対する定義や意味づけは置いておくとして、彼らの作品を前にしたとき、作品から受けるわれわれが直接的に揺さぶられる衝動は何なのか考えたい。われわれはそこに「美術」という枠組みの中で抜け落ちてしまった何かを感じるのだろうか。そうした”気付き”を促す状況に少しずつなってきたとしたらそれは好ましいことだろう。十年前では考えづらいがジャーナリズムも「アール・ブリュット」と言われる表現にやっとスポットを当てるようになったことを見るにも固定した概念や価値へ変更を加えることの難しさを感じる。しかしこの急激な眼差しの変化は注意しておかなければならない点も孕んでいよう。それは、彼らの作品の持つ(作者の置かれる状況を含めて)特殊性(多くが人のためにとか社会のために描いたり造られているわけでない)について常に念頭に置いて見つめる必要をどこかで感じるからだ。会田誠が障がいのある人の作品に対してたしか嫉妬を覚えるといった発言をしたのをインタビューかで耳にした気がするが興味深く思う。

2008.7.25 AriAya'08 柴田有理・橋場あや二人展 ルンビニーのアーティストたち るんびに美術館 橋場あやプロデュース「時間差:半世紀シリーズ1」と題した展覧会。二人展ともあるが橋場さんプロデュースにより柴田有理さんにスポットを当てた展に見える。柴田さんの作品は盛岡のギャラリーla vieで観ることが多いが、今回はるんびに美術館のより天井の高い空間に伸び伸びと配置され気持ちがいい。壁を隔てて「ルンビニーのアーティストたち」が開催されており、この場所(知的障害を持つ方の作品を主に展示している)で展開することに意味を確認しながらも、案外さらっと展示しているところも橋場さんにとっては当たり前のこと(普段のこと)といったスタンス(「ボーダーレス」という表現を橋場さんもよくされることを思い起こす。)を感じる。柴田さんは会場の壁いっぱいに日常の断片とも取れるメモやスケッチやスナップ写真を貼りまくるスタイルは変わらない。どこか昔の家ではよくあった、壁一面に観光地でお土産に買ったペナント(三角のフラッグ?)や書道や賞状を貼ってる光景とだぶって見える気がした。柴田さんはそんな世代ではないが生まれ育った環境の中で、どこかそんな光景を追体験されているのかもしれない。

2008.7.18 先日東京で観た「アール・ブリュット・交差する魂」展に出品の日本人出品者の作品を集めた展覧会が岩手で近々開催される。アール・ブリュット、アウトサイダー・アート、ロウ・アート・・様々な言葉で表現される表現に焦点をあてたミュージアムが岩手に出来たことは記憶に新しいことと思う。タイムリーな企画として注目したい。

2008.7.8 橋本尚恣展 −振子往還− 田中屋画廊 青森在住の橋本さんの個展最終日に伺う。橋本さんは版画の技法を使いながらモノタイプ的な一点ものの作品を作る。作品からは、ドローイングと版画の中間のようなどちらとも取れる印象がある。したがって橋本さんの作品をジャンルわけする際は観る側の解釈に委ねられる部分が大きい。もちろんそんなことの意味はここでは重要ではないのかもしれないが。版画の技法を用いた作品はアルミ板によるドライポイントで、版自体が不定形に切り取られることで絵に於ける「地」にも「図」にもなっている。版画といえばエディションを決めて刷り増しを行うが、橋本さんにとっては一つの版で同じようにインクを拭きとり、磨き上げて刷り増す繰り返しよりもドローイングの描線と等価な行為としてアルミ板を切り取ることによって得られるらシルエット(描線としての)に線刻し、深く抉られた溝にインクを盛り上げ金属板と相同の形の和紙をがんぴ貼りしてプレス機にかけて立ち現れる一点との出会いに意味をおいているように感じる。それは一点ものの絵画と同じ感覚であって、作品の制作過程に版画の工程を用いているに過ぎないのかもしれない。展では同時に水彩によるドローイングも展示されていた。何を表しているのかという具体的なものに向かうのではなく自身の中から浮かび上がってくる非言語的領域の表出なのだろうか。
「ビートルズが教えてくれた!」 harappa企画展 harappa gallery
2008.6.28 5人の平面展 高松次郎 二村裕子 舟越桂 中野 滋 戸村茂樹 MORIOKA第一画廊
作品展示替え中?

2008.6.26 菊池永子展 ギャラリー彩園子
缶カンコレクション展 ギャラリーla vie

2008.6.24 プロバイダのリニューアルに伴い、当HPのアドレスや連絡先E-Mailアドレスが2008年7月8日より変更になります。当面は旧アドレスにアクセスいただいても転送されるとのことですが、各方面にご迷惑をおかけしております。その関係で現在HPの更新作業等に支障が生じております。たびたびのことで恐縮ですがどうぞ宜しくお願いいたします。

2008.6.12 橋場あや 青のコレクション’08 ギャラリーla vie
うちわ展 ギャラリー彩園子T
小林裕児の夢現むげん飛行絵画展 ギャラリーカワトク

2008.6.2 多田敦子展−黄金背景テンペラ画− ギャラリー彩園子

2008.6.1 美がむすぶ絆 日本美術名品展−ベルリン国立アジア美術館所蔵− 岩手県立美術館
伊藤由美子×三上志穂 二人展 ギャラリー彩園子U

2008.5.30 常設展示 十和田市現代美術館
岩手町からはじまった美術団体〈エコール・ド・エヌ〉草創期展 岩手町立石神の丘美術館

2008.5.23,24 AOMORI+AKITA+IWATE北東北 ゼロダテ/東京展 2008「北東北アートネットワーク」 プロジェクトスペースKaNDaDa
水本剛廣 展 トキ・アートスペース
中西夏之 新作展 渋谷区立松涛美術館
英国美術の現在史:ターナー賞の歩み展 森美術館
サスキア・オルドウォーバース 森美術館ギャラリー2
透明なスピード|BMWアート・カー展 森アーツセンターギャラリー
アール・ブリュット/交差する魂 ローザンヌ アール・ブリュット・コレクションと日本のアウトサイダー・アート 松下電工汐留ミュージアム
アール・ブリュット/交差する魂展 オープニングフォーラム リュシエンヌ・ペリー氏講演 同ミュージアムホール

2008.5.17 菅木志雄展 ギャラリー彩園子T、U
5人と4人展 MORIOKA第一画廊 横尾忠則 関根伸夫 松田松雄 舟越桂 小野隆生
木内克 大沢昌助 松本竣介 舟越保武

2008.5.13 美術館に行こう! ディック・ブルーナに学ぶモダンアートの楽しみ方 岩手県立美術館
ミィッフィーちゃんで有名なブルーナを知らない人もいないだろう。というかブルーナは知らなくてもうさこちゃんは。今回の展覧会はオランダ出身のディック・ブルーナの知られざる?グラフィックワークの紹介にスポットを当てながらも、彼の絵本「ミッフィーのたのしいびじゅつかん」のページをめくりながら自然とアートへの関心をひきだそうというねらい。そうした仕掛けはともかくとして私自身は意外と知らなかったブルーナのデザイン力の源を覗き見ることができ再発見があった気がする。そしてデジタル処理されないグラフィックを見つけるほうが困難な現在において、ブルーナの鉛筆原画をトレーシングし、透明シートにラインを焼付け、ブルーナカラーとも言う色紙を重ねてシンプルな色面によって構成する手法は、実にアナログ的だ。そしてその制作工程を見ていると、単純に見える一本の線にも作者の鼓動が伝わってくるようで、ブルーナのデザインが、これまで以上に明快なものに感じられた。
レイモン・サヴィニャック展の時もそうであったが、デザインとは表現したいものを伝えるために、余計なものを排除することであるとここでも強く感じた。
常設展示 岩手県立美術館

2008.5.3 第28回 萬鉄五郎祭−みんなでワイワイ・よろずまつり−
記念講演「街かど美術館を考える」パネリスト 菅沼緑(街かど美術館実行委員・彫刻家・東和町在住)
なぜ?なに?萬鉄五郎−萬鉄五郎からの20の質問−展 萬鉄五郎記念美術館

2008.4.29 ギャラリー彩園子の30年展 ギャラリー彩園子T、U

2008.4.28 開廊30周年記念 ギャラリー彩園子の30年展 祝賀会 ギャラリー彩園子 同展実行委員長小笠原卓雄さんの開会挨拶から始まり、30周年展の会場を提供下さった啄木・賢治青春館、おっでって館長の中村さんのご挨拶に続き、村井さんの「記録や振り返って整理することは苦手だ。」というお言葉とは裏腹な、彩園子にかかわるすべての人たちに向けた温かな眼差しを感じるご挨拶。言葉の節々にこの30年間の深さを感じました。そのあと何人かスピーチされていましたが、周りの音にかき消され何も聞き取れませんでした。しかし100人以上は集まったでしょうか。今宵来れなかった方も含め本当に大勢の人たちが彩園子が盛岡にもたらした意義を再認識いたしました。

2008.4.27 開廊30周年記念 ギャラリー彩園子の30年展 ギャラリーおでって この企画展に出品の依頼を頂いた時、ギャラリー彩園子に関わりのある作家によるグループ展かと単純に考えてしまった。しかしよくよく実行委員と打ち合わせを重ねる中で、彩園子の開廊から30年の歴史の中で特に80年代から90年代発表の作品から作家を選定して下さったとのことで有難く思っている。というのも私の場合、開廊以来発表する側、観る側として今日まで関わらせていただいてきたが、発表は’92年の企画展”磁気状況展”、'95のSCIENCE FICTION 言葉の三者、三者の言葉展が最後で彩園子では発表から遠のいていたこともあるからだ。今展は特に当時彩園子で発表した作品を並べたいとの趣旨から、12人の展示で、しかも決して広くないワンフロアーの会場にもかかわらず当時としても大き目の立体作品を指定され展示することとなった。実行委員会の作品選定は、近作や80年代の作品が混在するより見え方が統制が取れていいかと思われる。、何より彩園子が当時何を提示していたか意味を持つのだろう。会場では出品作家12人の作品は重なり合いながら、決して十分な距離を持って展示されてはいない。しかしこの重なり合う関係に逆に個々の作品の独立した立場を感じる思いがするのは自分だけだろうか。ここに並ぶ異なる作品は、彩園子が多くの作家を受け入れそれぞれを育ててくれたことを意味するように思える。彩園子とそこに関わってきた人たちの間に存在する目には見えない相互作用、30年という長期に渡って画廊を継続され、我々に研鑽そして思索の場を与えてくれた画廊オーナー村井さんの功績は計り知れないと改めて思った次第だ。

2008.4.26 十和田市現代美術館 オープニング 本日待望オープンした十和田市現代美術館。招待作家やプレス関係者でごった返す。一見して関係者とわかる人たち(海外アーティストは勿論のこと)は、すぐに十和田を後にするのか満開の桜をバックに記念写真を撮って、三沢空港行きのバスに乗り込む姿も。また一般の入場者も11時の開館を待ちわびて一気に会場に入り込んだ(おそらく)。12時過ぎに到着したときには数十人の列が沿道にあふれていた。入場制限をかけているのだが十数人単位でしか入れない。そのわけもすぐに分かる。館内は思いのほか狭く、順路の最初(二番目)にある作品が一人ずつ踏み台に乗って鑑賞をさせるタイプの作品のため渋滞。入場者の多くは一般の市民であろうか。道路に面し、開かれた構造の美術館は、建設中から市民の期待を膨らませただろう。そうでなくても歩道に並ぶ人につられて列に加わる市民も見受けられた。こうしてアートに触れる機会が自然に出来るのは入りづらい美術館よりずっといい。近年、美術館の建築構造(設計)は、その美術館の性格を象徴させる重要な意味を持つ(場合が多い)。十和田市現代美術館は、建築設計とそこに収まる作品との相互の関係がバランスをとっているという点で建築先行型の美術館ではないのだろう。正直狭さを感じる館内は、歩き疲れさせられる美術館よりもプライベートな「家」のような印象だ。実際「アートの家」が設計にも重視され、収蔵される恒久コレクション一点一点に合わせた専用の空間が設計段階で細かく決められているという。だから初めて出会った作品にも最初からそこにあったかのような居心地のよさを感じるのは成功している点であろう。ふと目をガラス越しに外に向けると官庁街とはいえ、民家や昔ながらの桜並木に松といった風景が見える。ここに突如展開される無国籍な現代アートとの間でもうすこしゆっくりと解釈するのに時間が欲しい気にさせられた。
企画展示は十和田市現代美術館開館記念展 オノ・ヨーコ|入口

2008.4.19 美術館に行こう! ディック・ブルーナに学ぶモダンアートの楽しみ方 岩手県立美術館

田村 晴樹 展 諄子美術館 田村さんは近年、精力的に発表を重ねている。その透明感をたたえる水彩画の画面は、実に清潔なイメージをもたらしている。詩人が言葉を操るように、田村さんは形と色を自由に操る。画面に溢れるそれらのエレメントは一見迷いもなくそこに在るように見える。しかしそんな印象とは異に、作者は様々な向きから画面を注視し、紙に沁み込む水の速さを経験から計りながら緻密に意識を研ぎ澄ましながら描いているにちがいない。しかし画面がたたえるのは、どこかユーモラスでウイットに富んだイメージに思えるのが面白い。選ばれたフォルムや色彩が画面からひとりでに語りかけてくるそんな印象をいつも与えてくれる。

2008.4.16 春季常設展 岩手県立美術館 この時期に企画展示がされていないのは初めてだろうか。今年度は4月19日から特別展として「美術館に行こう!」 ディック・ブルーナーに学ぶモダン・アートの楽しみ方 が始まる。ちょうど展示作業の最中らしい。またグランドギャラリーでは菅木志雄さんのインスタレーション作品の設置作業中。といっても図面を基に作業員が黙々と作業をしている。全貌はまったくわからないが透明なビニールシートを高い天井から床まで等間隔に奥行きのある通路の中心線上に吊り下げ作業中。この素材は去年も見たような気がするが、透明な材質性は、菅さんのガラス板を用いた作品でもよく登場するが、柔らかいビニールシートはより外界との境界を曖昧にし、ゆらぎを与える素材として用いられるのだろうか。昨年はレーザーポインター(光線)を幾重にも連なる透明シートに照射する試みだったように記憶するが・・・。