過去のVOICEを見る 2010.4.1‐2010.9.30




2010.9.27 現在工房”親”(東京)に出品中である。グループ展であるが、ギャラリーから大きさの異なる同テーマ、同手法による二点の出品を求められた。サイズは大が一辺100cm以内で小は一辺20CM以内である。最初はそう難しくなく捉えていたが、結局搬入の直前までやり直しが続いてしまった。作品はクロネコ便で送り、展示もお任せした。このように送り出す直前まで筆が入った(実際は筆も描画用に絵具も使わない手法)作品はいったいどう会場で見えるか不安である。ギャラリーのHPで展示されている位置は確認できたが、何せ白い判然としない作品はPCでも視認性がわるい。おそらく会場でも。10月2日は午後4時から出品作家のトークがある。そこでなんと説明しようか。具象的な風景が素材になっていてもどこか焦点が合わない消える様な表現に気持ちが向かうのだ。現れることと消えることの拮抗というか。ただ今は表現しながらも迷いながらの状態だ。

2010.9.25 いわての現代美術と出会う、秋。 岩手町立石神の丘美術館
北田了一ピアノソロ アートウォーク即興組曲演奏会 石神の丘美術館ホール

2010.9.23 残景 石川優太 及川有沙 tent

2010.9.20 スペシャル鼎談「色と表現」 出演 百瀬寿氏、加納光於氏(版画家) 岩手県立美術館ホール 14:00〜15:00
本日から買い求めることのできる百瀬寿展 1970-2010 図録を購入。美しいカタログだ。

2010.9.19 登米アートトリエンナーレ 理想郷・幾何学構成アートの祭典(宮城県登米市)
お隣の県での開催なのにそれほど情報がないままに会場に向かう。しかし事前に展HPで確認し、プリントアウトしていたにもかかわらず、現地での分散している展示会場が思いの外離れており、最初からこれは一度に観ることを断念。ただ前々から伺いたかったサトル・サトウ・アートミュージアムが会場にも含まれていることで最小限の目的は達成できた。佐藤達さんの作品はだいぶ前から知っていたし、静かでいながら緊張感に支配された幾何学的造形は好きな作家であった。しばし生涯学習センターの建物内にある?別世界を貸切状態で。ここでマップ等をゲットしていざ次の会場へと車は向かうのだが、なんだか知らない土地で心細い。その内山車が練り歩く秋祭りの只中に突入。もうアートトリエンナーレはどこにいったのかという感じだ。こちらも完全にタイムスリップしたようなレトロな情感に浸り旅行者気分。なんとか作品が設置してある目印ののぼりを見つけウォッチング再開。諏訪公園というエリアではいったいどれが作品なのかと最初から幾何学的に?デザインされているこの公園のレトリックに翻弄される。パンフやHPによる未見の作品を観にもう一度出直す機会があればと思うが・・。

2010.9.17「アートチャレンジ」Vol6 県美術選奨受賞者によるアートの風 展」 いわてアートサポートセンター 風のギャラリー

2010.9.14Maco 写真展 ヒキダシ Photo Plus 愛宕町の店舗から元々の本町にPhoto Plusが移転していたことを最近知ってびっくりとともに前のスペースがよかっただけにちょっと残念なような気もした。
観たいと思っていても行くことのかなわなかった展は多いものだ。大きな展覧会で地方を巡回するような場合はタイミング良く別会場で出会える場合もある。金沢21世紀美術館で既に終了したヤン・ファーブル×舟越桂も今年の夏の暑さに翻弄されているうちに終わってしまっていた。それも知らずに盛岡から大宮、越後湯沢経由金沢行きの時刻表を本気でながめていた。金沢まではとても距離があり実にローカルな路線も駆使しないと列車では行けない。新幹線一本で着く街と違った風情が増長される。ひと時の想像の中の旅に終わった。
 観逃していてもちゃんとその後の巡回スケジュールを把握している展もある。茨城県近代美術館には行けなかった「アンソールからマグリットへ アントワープ王立美術館コレクション」が現在東京オペラシティアートギャラリーで開催中だ(10月3日まで)。ゴッホもいいけどこういう渋い展にも気が向かう。


2010.9.11 百瀬寿MOMOSE Hisashi 1970-2010展 オープニングセレモニー 岩手県立美術館
常設展:グラデーション以前−百瀬寿の1960年代 岩手県立美術館
Prints 日本人の感性 旧石井県令邸

2010.9.9 常設展示 TURM
Hiromix worksを手に入れた。彼女の1995年から1999年までの作品による贅沢な?装丁本。当時の女性写真家ブームとか話題性を通過した今改めて見直すと作者のやはりもって”感性(カメラのスペックによらないシャッターを落とす瞬間性)”と言える空気感のようなものがまた輝いて見えた。

昨年行われた「アート@つちざわ」のカタログありがたく受け取りました。「展が終われば何も残らない」とはよく言ったもので、カタログの重要さを知らされます。編集方針は展の目指すところと重なる気がします。それは奇をてらった特別なことをするわけではありませんが、あるがままをくずさずに(自然に)引き出すということでしょうか。それは人と人とのコミュニケーションとしてのアートというスタンスをここでも感じさせ、妙な権威やコマーシャリズムにも乗ることもなく、そのことがカタログの一頁一頁からとてもよく伝わる気がします。ですからカタログからも一人一人の顔が見えてくるのです。画一的でタイトな方向性よりも個々人の”振れ”が感じられるというか。編集者の労に感謝いたします。また黄金色の土沢を歩いてみよう。

2010.9.2 福田繁雄−シビックの森 シビックホール

2010.8.30 ネイチャー・センス展 日本の自然知覚力を考える3人のインスタレーション 吉岡徳仁 篠田太郎 栗林隆 森美術館
竹原優 inevitable-必然- 六本木ヒルズアート&デザインストア スペースA+D

2010.8.28 N2スタジオライブ 21 《SHIZUKUISHI会議−3つの報告展》 大村理文・高杉隆・濱千尋 YELLOW PLANT GALLERY
Prints 日本人の感性 旧石井県令邸

2010.8.28 先日立ち寄った宮城県気仙沼市にあるリアスアークミュージアムの設計をされた石山修武さんの著書「建築はおもしろい」の中でのリアス・アークミュージアムの設計の経緯がおもしろい。 海の美術館だから海の見える街中に建てると想定したものが海から少し離れた小高い丘陵地に建つことになったことなど、設計者の思惑と別のところではたらく条件との折り合いの難しさ、そして与えられた条件の中で浮かび上がる設計のコンセプトを現出させる苦労が、実際に出来あがった建物と重ね合わせながら体験し考えることがまた建築を読む楽しさだと思う。

2010.8.23 発掘・盛岡ゆかりの画家シリーズX 中村千代吉展 骨太な生命の賛歌 もりおか・啄木・賢治青春館2階展示ホール
第九回プリン展 クラムボン
鎌田 悟展 ギャラリー彩園子 秋田市が生まれという作家と少しお話ができた。基底材のことや使用するマテリアルのことなど共通した話がごく自然に湧いてくる。版画の技法が取り入れられている絵画にも見えるが、版画の反転性を絵を見ながら翻訳している自分が面白く感じた。まだまだ秋田の作家との交流は意外にもその機会が少ないように感じるのは私だけだろうか。

2010.8.22 〜博物館の起源と発展〜英国植物画の世界展 リアス・アーク美術館
N.E..blood21 Vol.43 TAKAMATSU KAZUKI リアス・アーク美術館

2010.8.14 新しい美術の系譜 国立国際美術館/大阪/の名品 宮城県美術館 現代美術の系譜を辿る教科書のような内容。デュシャンやピカソ、モーリス・ルイス、リヒター等々。日本人では森村、やなぎみわなども網羅。最初にはルドンやセザンヌも。個人的にはルドンの「若き仏陀」そして最近の作品である展のポスターにもなっているロレッタ・ラックスがよかった。ロレッタ・ラックスの写真のような絵画にも見える実は写真(つまり極めて意図的に写真に絵画性を持たせたとでも言おうか)は実は小さい作品であったが気になった。

小企画展 人を描く・つくるー人間へのまなざし 宮城県美術館

2010.8.11 9月16日から10月9日会期で開かれる東京でのグループ展(工房”親”)に出品する作品を制作中だ。今回の企画展テーマが「絵画のサイズ」である。10月2日にはアーティストトークも予定される。まずは出品条件の大小二点のサイズの異なる作品を同テーマ、手法で制作しなければならない。
これが意外にいろいろなことを考えさせられる。特に今回は同じモチーフを用いて大小サイズを変えて制作しなければならないが、この連続する作業をするとそれまではある程度大きなサイズで制作することが多かったのが、極端に小さい(といっても20cm×20cm)サイズから制作しながら大きいサイズに取りかかると、サイズの大きな作品が以前より細部が気になってしまい距離感も取りづらくなっている。結果、結構苦労してしまう。大きなサイズは100cm×100cm以内とのことだったが、そんなこんなで途中でリサイズしてしまった。どうにも小さいサイズと縦横比が同じスクエアにすると描きづらい感覚を覚えるのだ。
まだ搬入までは時間があるので、もう一回やり直すことも考えられなくもないが、想像していたよりもサイズがもたらす問題に自ら直面させられた感じだ。


2010.8.6 東北の道を行く 須藤英一写真展 石神の丘美術館
浅倉 伸 展、 コバヤシ ケンジ子展 アートステーションギャラリー
小野 英治展 ギャラリー彩園子

2010.8.4 2010諄子美術館開館10周年記念企画 百瀬 寿展 諄子美術館
第七回 北上市所蔵美術展 北上市生涯学習センター
佐藤純2010展 湯本美術展示館

2010.7.30 没後25年 有元利夫 展 天空の音楽 東京都庭園美術館

2010.7.29 CORRESPONDENCE/LANDSCAPE 2010[15人の視覚提言]工房”親”
Onodera Yuki オノデラユキ 写真の迷宮へ 東京都写真美術館

2010.7.19 25歳展 ギャラリー彩園子T

2010.7.18 ロボットと美術〜身体×機械のビジュアルイメージ〜 青森県立美術館
24OUR TELEVISION Nadegata Instant Party ACAC国際芸術センター青森

2010.7.9 第36回盛岡彫刻シンポジウム展 企画展テーマ「色」 ギャラリー彩園子T、U 長く続いている展であるが、ここ数年感じるのは「彫刻」と言う括りの難しさというか、こうした展覧会においても出品者の「彫刻」の捉え方が、かつて岩手大学を中心にそのフィールドを確認していた同士であっても、かなり多様化してきているということ。それは当然のことでありカテゴライズされること自体が表現を狭めるわけだし。
従来のフォルムの成形に向かう指向性から、意味性や精神性といった多様な展開の可能性が見えるのは楽しみだが、あらためて「彫刻」という二文字に意識が向かう気がした。
ここから「彫刻」をどう捉え直し差異を出すのか、またはクロスさせるのか注視したい。

2010.7.7 喫茶「僕らの理由」にやっと伺った。大体の住所は知っていたもののほぼ迷うことなくその場所の前に車が停まった。それだけ何かを放っているというか逆に息をひそめているかの雰囲気が伝わってきた。「面白いですねこの建物」と最初に感想を告げてしまったのは、建物がというよりその場所に在るということに対する感想だった気がする。懐かしさというよりどこにこういう感覚を置き去りにしてしまったのだろうかと我に返った。
 「言葉」を思うことは「絵」を思うことであり、「絵」を意識することは「言葉」を意識することに他ならない。60年代70年代は盛岡でも詩人と美術家とが垣根なく発表し合っていた気がする。言葉や絵画がコンピューターのモニターに映し出される均一で薄っぺらなものにいつからかなってしまったようだ。一個一個異なる言葉や文字のざらつき(質感)やフォルム、奥行といったものが絵画を考えながら自然と意識が向かった。現代には現代の視覚性やスピード感があるのは当然であるが、「言葉」にそして「絵画」に意識を沈めることができづらい時代になったのかもしれない。ここで言う意識の深度自体の物差しの変化とでも言えよう。
季刊誌誌「舟」2010・春 139を頂いてしまった。

2010.7.4 Arts Towada グランドオープン記念展 草間彌生 十和田でうたう 十和田市現代美術館・中心商店街ほか

2010.7.3 ha tha展 coconutty OOD

2010.6.30 夏のコレクション展 青森県立美術館
菅川恵梨 鋳金展 ギャラリー彩園子

2010.6.29 24OUR TELEVISION  Nadegata Instant Party 公開制作 国際芸術センター青森 ACAC

2010.6.24 ポップ・アート 1960's→2000's 岩手県立美術館
「ポップアップ」講座担当 大更公民館(八幡平市)

2010.6.17 吉野石膏コレクション 印象派の光 山形美術館

2010.6.16 B2のチカラ 杉本吉武B2ポスター展 石神の丘美術館
小笠原卓雄Integral.series-H 彩園子

2010.6.15 第52回エコール・ド・エヌ盛岡展 岩手県民会館第1、2展示室

2010.6.10 墨象作家 篠田桃紅の世界ー文字とかたちー 財団法人 至道博物館(鶴岡市)
常設展示他 鶴岡アートフォーラム(鶴岡市)

2010.6.9 斎藤真一「放浪記」−初期から晩年までー 斎藤真一心の美術館 財団法人出羽桜美術館分館(天童市)

2010.6.5 講演会「19億円のマンガの絵、ポップ・アートの経済効果(ウォーホルとリキテン・スタインを中心に)」 
講師 広本伸幸氏(ミスミアートコレクション・キュレーター)14:00〜15:30  岩手県立美術館

2010.6.2ポップ・アート 1960’s→2000’s 岩手県立美術館
三人展 Current〜流れ 橋場 あや、桑児 元、服部 尚樹 クリンゲンバウム
岩大同窓『桐』展’10−デッサンの現在− 盛岡市市民文化ホールマリオス4F展示ホール

2010.6.1 きらきらを たかはしあゆこ写真展 photo plus
うちわ展 彩園子T

2010.5.30 菅沼緑 湯本美術展示館 菅沼さんは主に木を素材に丸みのあるユーモラスでタオヤカナ彫刻を数多く発表されてきた。子どもは直感的にその形態に的確なネーミングをするものだ。緑さんの作品を雨だれと言ったりする。その直感のイメージをもたらす形とは相当に純度がないとそうは子どもでも反応にこまる。緑さんがこだわる楕円(〜な形〜な空気)が子どもにとって即答しやすいとすれば楕円という形は万物のもとになるエレメントの重要な一つなのかもしれないと、少々間接的なことを考えてみた。

2010.5.23 萬鉄五郎 初期素描展ー初学入門の人達へ― 萬鉄五郎記念美術館

2010.5.22 内藤晴久 展 長方形の悲哀 大根と長方形と冬の月 ギャラリー彩園子T、U

2010.5.16 −旅する河童−大道芸人 おいかどいちろう 小原信好写真展Vol.4 Photo Plus

2010.5.15 紙町銅版画工房 ちっちゃい銅版画クラブ展 盛久ギャラリー
常設展示 MORIOKA第一画廊 萬鉄五郎の芸大入学前の初期油彩を先に上田さんと談笑されていた岩手大学のT先生夫妻とともに額から外して見せていただいた。

東京で数回個展をさせていただいている工房 親(Kobo CHIKA)のブログ
 CHIKA Blogが面白い。もともと日本人作家と海外のユニークな現代作家を企画紹介している画廊で、個展形式の他に複数名の作家を組み合わせた独自のテーマをもったグループ展もコンスタントに行うギャラリーだ。ギャラリースタッフの坂井さんがブログの中で韓国ソウルのアートフェアSOAF2010とSoul photo2010についてリポートしている。ソウルは昨年私もちょっとだけ訪問して、日本のアート事情と重ね合わせたところだったので、何となく坂井さんの感じられたことがわかる気がして興味深かった。
 工房 親には9月のグループ展に平面作品で参加予定である。

2010.5.14 飯坂真紀作品展 サヨナラ三角の町、また来て四角な空 ギャラリー彩園子

2010.5.12 生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展 岩手県立美術館
常設展示 岩手県立美術館 今回のミュシャ作品も機会があり三回目。毎回感想が微妙に変わることを感じる。ミュシャについては言うまでもないが、そのグラフィックワークは代名詞のようにわたしの中にもインプットされている。今展は過去に観た日本でのミュシャ作品よりも時代の波長に同調して感じるから不思議だ。やはりポスターにおけるグラフィックの輝きは現在、CGや写真を駆使しても真似のできないものなのだろう。油彩や水彩(ガッシュ)作品も並んでいるが、印刷を前提とした装飾的ではありながらも簡潔なデザイン性をたたえる展の中心をなすグラフィック作品からは、現代のデザインにも通じるエッセンスを感じずにいられない。ドローイングにおけるアウトラインを強調した美しい女性像は、どこか写真やコピーにおける反復性を想起させ、時代と重ね合わせると大変興味深い。

yohei yama art expo hi ka a ru ru 山 洋平 ood ウードでは明日までの展示だったかと。紙や布、キャンバスにペンや水彩等で描いているそうで、決して重くなくしかしどこかにひっかかるような不思議な作品に思えた。16歳の時にフィンランドで一年暮らした経歴、日本全国を旅しながらウクレレを演奏して写真を見せる旅する展などについて後でHPをのぞいてみた。何も知らずに拝見したが日本的なのに、どこかフランス的なにおいを感じたがそう外れてないかもしれない。本人とも少しお話。ウクレレの生演奏もごくごく自然。

透明な意志 ギャラリー彩園子U

2010.5.9 柳田陽一展 まちテクギャラリーつちざわ@ 土沢商店街 ウィンドーギャラリーおおつかから始まった街かどギャラリーも今年から展示場所を四カ所に拡大して二ヶ月周期で行うようです。ウィンドーギャラリーといっても特別につくられた展示ではなく、ごく普通にお店の商品と作品が同居する感覚はこれはこれでいいのかもと思わせる。そのスタンスがつちざわのつちざわたるところとして面白い。作品は日常の生活空間の中でその意味を問い直されると同時にかけがえのない日常を際立たせる呼び水となる。日曜祝日にはウィンドウが閉まって作品をのぞくことが出来ない箇所もあるようです。

鈴木研作絵画展 けやきラウンジ

2010.5.7 B2のチカラ 杉本吉武B2ポスター展

2010.5.4  熊谷行子・岸 浩展 ギャラリー彩園子T・U 双方の異なる個性が並列して鑑賞できるのは、彩園子にT、Uがある強みとも言えよう。彩園子Tは何度かふれたが、改装によって開放性のある変形空間になり以前とは違う意味で難しい空間になってしまった。そんな中で岸 浩さんの作品は十分に空間を満たし、その技巧や経験の裏打ちが、久々に観た説得力を持った絵画に感じられた。それは抽象か具象かとか流派とか関係なく作品が持つ力の問題なのだと思う。Uで展開される熊谷行子さんの作品は、それまでの縄を画面に縄文土器のように貼り込めて着彩した作品とは異なり、雲型に切り抜いたベニヤ板か厚紙が画面から張り出しで構成され、着彩され部分的にトレードマーク?である縄があしらわれた作品だと記憶する。プリミティブさが少し軽やかな方向に変化しているのかもしれない。重量感のある縄だけの作品は今でもよく覚えている。

2010.5.1 B2のチカラ 杉本吉武B2ポスター展 開場式 ギャラリートーク 杉本吉武+斎藤純(石神の丘美術館芸術監督) オープニング・パーティー 石神の丘美術館  杉本さんの作品はシンプルな強さがある。それはコンピューターを使わずに、コンピューターならやってしまいそうなフィルターワークや変形、コピー等にたよらず、手仕事でなければできないことを力にしている。杉本さんは、削る作業、余分なものを消す作業がデザインには必要で、現代のデザインに求められる、もっとも必要なことだろうといったお話をされていた。考えさせられる。その上で残ったものは何であろうか。それこそがデザインの設計であり、設計の良し悪しがデザインを決める。私もよく記憶し、いいデザインだと強く感じた「SAVE AFRICA」1985 が黄土の土色の地に黒く塗りつぶされたアフリカ大陸のシルエットそのものにやせ細った首から胸までのシルエットを繋げただけのデザインだったことを再度お聞きし、そのアイディアの単純さだからこそデザインが力を持つということを改めて感じさせられた。

2010.4.25 2010諄子美術館企画 田村晴樹展 諄子美術館  心地良いサイズの絵が会場を水彩の潤いで満たしている。有機的な形態と定規で引いたような幾何学的な形態が半々に混じり合う。水彩画であるがどこかPrintingをイメージさせるのは色彩に濁りがないことと背後にある緻密な計画性からだろうか。紙に水彩という限られた手法をとりながら、観る側の意識を二次元と三次元の間に浮遊させる。

小林 覚〜線と色彩のハピネス るんびにい美術館 昨今の日本のアウトサイダーアート、エイブルアートの紹介は海外からも熱い目で迎えられていることを実感として感じる。今回拝見した小林 覚
さんの絵も、その独自な手法(文字や数字、記号的なものをベースにしながら独自の変形を加え絵画に昇華させているように思う。)から繰り出される線と色彩のハピネス(展タイトルより)で満ちている。アウトサイダーアートにはだれかも云っていたが僕らを嫉妬させる何かを感じずにはいられない。

2010.4.24 N2スタジオライブ19伊藤暢浩個展 「時間と空間」 YELLOW PLANT GALLERY ヤマハベルーガ50(80年式)で少々の遠乗りをしてみた。盛岡からは20Kたらずながら小岩井農場への交差点も過ぎて雫石町までの道のりを爽快に走るにはエンジンが心もとない。冬眠から覚めたばかりで往復で二回燃料系の不具合で失速。中でも七つ森付近の滑りどめを施したカーブは原付のタイや幅と危険なほどに相性がわるくぶれてハンドルを取られそうになり恐怖だ。
 YPギャラリーもなかなか訪れることができないでいたが、もう四月後半だと思ってバイクに乗ってみたが外気温10度は時折の強風でそれ以下に感じて十分寒い。
作品は写真。しかし印画紙にプリントされたものではなく写真を紙にコピーしてメデュウムで絵画的な雰囲気にしているのだろうか。最近たまたま観た写真も一見絵画かと思って近づくと写真の表面に薄い光を透過する布地で覆ったものだった。「写真」について考える機会をこうした仕事は与えてくれる。絵画的に見えるということは「絵画」についても考えさせる。中庸な位置をとるか互いの意味を差し替えるかなど興味がわく。
YPギャラリー N2スタジオが発行する 「透明な石NO7」の初めに美術評論家平井亮一氏が岩手の美術とのかかわりについて70年代の岩手芸術祭美術部門環境芸術部門での審査の立場での来県の印象やらN2スタジオを主宰する新里氏とのかかわりについてふれている。そしてYPギャラリーで発表される地元を中心とした若手作家の充実した仕事に新里氏の仕事を重ねて観ている視線を感じさせられる興味深い内容だった。

2010.4.18 自転車で旅をする〜南米人力の旅写真展 アイーナ5F国際交流センター内 カレー工房「チャルテン」のオーナーである星野公一さんの展覧会を知ったのは「街もりおか」がきっかけであった。「チャルテン」はわたしも何度かおじゃましているが、店主が山登りをしているのかな〜くらいにしか詳しく知らなかった。自転車での数回の南米走破をされた方がこんな近くにと驚いた。そしてその写真展は所謂アートとしてとか写真としてのアプローチよりも記録として実にその人力とのスケールを対比させながらも苛酷さを感じさせない旅の喜びに満ちていた。飾りきれない写真が収められた数冊に及ぶファイルもじっくりと眺めさせていただいた。
  
藤田咲子 斎藤公美 喫茶 六分儀

2010.4.17 賢治そのときの盛岡展 モリーオゆかりの地を訪ねて もりおか賢治・啄木青春館

向口暁子 ささきるな 絵画展 夜明けの月が見た景色 クラムボン 

松本伸 写真展 ほっと茶屋

2010.4.15 生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展 岩手県立美術館
常設展示 岩手県立美術館

2010.4.11 生誕150年記念 アルフォンス・ミュシャ展 岩手県立美術館
常設展示 岩手県立美術館

2010.4.6 大人の科学 フロク 35mm二眼レフカメラで撮ったフィルムをやっとPHOTO PLUSに現像に出した。トイカメラであることを告げていたのでかうまくコマの調整をしてもらった気がする(気がするだけか)。プリントで失敗しないように現像だけ。そしてフィルムスキャンでPCに取り込む。結果は全敗ではないけど反省の多い写りであった。思いの外ぶれたり、暗かったり、逆にASA400では屋外の好天時はオーバーになるようで暗めの屋外や室内での人物が結構面白い気がする。フィルム送りが均一にいかないのも少々困るが・・。

4月に入り気分一新といきたいが、冬タイヤをいまだ交換できないような不安定な気候。作品のために写真を撮ろうと思いつつまだまだ多い残雪にスキー&スノボに気が行ってしまう始末。私の最近の作品(平面)は実際に行った場所(残雪の山の中)に基づいているが、敢えて通り過ぎるような過剰な期待のかからない場所を切り取ることが多く、それはそれで意外に気にいるものは少ない。何年か前に撮影したショットを使うこともあるが、不思議とその時の空気だけは思い出せる気がする。